ども!
midori* (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و
今回は教育学にもよくテーマとして取り上げられる「信用と信頼の違い」についてお話ししていきます!
社会人になると、何か仕事を任されたとき、「あ、今自分はこの人に信じられているんだな」って感じる瞬間ってあると思います。
なんだか嬉しい気分になりますよね。
もちろん上司などから束縛されることなく、自分がやりたいように自由に仕事ができるという嬉しさもありますが、それ以上に人との繋がりを感じることに喜びを感じませんか?
ただ一方で、「これをする前には必ず事前に見せてからにしろよ!」とか言われちゃうと、「あ、自分って信じてもらえてなかったんだな…」って感じてしまうこともあります。
僕はネガティブくそ野郎なので、そういった思考回路になってしまうんです。
今日は「信じること」をテーマに、よく誤用されてしまう「信用」「信頼」について綴っていきます。
●信用と信頼の違い
ここでは「教える側」の立場として、人との向き合い方における「信用」と「信頼」の違いについてお話しします。
「信用」とは、信じて用いると書きます。
「用いる」という言葉は人に対して遣う場合、相手を利用するということであり、相手が行動に移すことが前提となっています。
小学校などで先生が生徒を叱る際、よくあるシチュエーションがありますよね。
「先生は君を信用してこの係の仕事を任せてたんだぞ?」
「先生もお母さんも君を信用してたのに、なんでこんなことしてしまったんだい?」
そう言われた子どもは、
「あぁ、僕はこの人を裏切ってしまったんだ…」
「この人はこれまで僕を信じてくれていたのに…」
という気持ちになると思います。
僕も小学生の頃、ちょっとしたいたずら (空き家を秘密基地にしてた笑) が先生にバレて、そんな感じのことを言われました。
なんだか悲しい気持ちになりますよね。
また、「信頼」は、信じて頼ると書きます。
「頼る」というのは相手に対する自分の感情であり、相手が実際に行動に移すかどうか、その結果は問題ではないのです。
「君のことを信頼はしていたけど、この結果には残念だよ」
「信頼を裏切ってはいけないよ」
このとき子どもは期待を裏切ってしまったという想いにはなるでしょうが、こうした言葉による心理的ダメージは、まだ先程の「信用してたのに」という言葉よりかは軽いのではないでしょうか。
✿midori*の考察!٩( ᐛ )و
「信用する」とは、相手が行動に移す前提
▶︎ これまでの相手の行動から、その相手が行動に移すと信じること
「信頼する」とは、相手の内面への想い
▶︎ 相手が行動に移すかどうかは問題ではなく、相手の内面的要素を信じること
そのため、信用は「相手の過去」を、
信頼は「相手の未来」を信じるということでもあるように思います。
…よくわからなくなってきたので、実際に広辞苑でこれらの言葉を調べてみましょう。(笑)
結局調べるんかーい!!!
いえいえ、確かめるんです。(笑)
今はあんな分厚い辞書を持ち運ばずとも、スマホで「広辞苑」と調べれば辞書を引くことができるのです。
なんて素晴らしい世界なんだ…!!!
しん‐よう
【信用】
①信じて任用すること。
㋐確かだと信じて受け入れること。日葡辞書「デウスヲシンヨウシタテマツル」。「目撃者の証言を―する」
㋑現在の行為から考えて、将来必ず義務を履行するだろうと推測し信認すること。「客から―を得る」
②〔経〕(credit)給付と反対給付との間に時間的なずれのある交換。物品を購入してその代価を後日に支払う類。信用取引。
しん‐らい
【信頼】
信じてたよること。「同僚を―する」「―に応える」「全幅の―を置く」
「たよる」というのが僕はあまりピンとこないので、この言葉をさらに調べてみます。
たよ・る
【便る・頼る】
〔自五〕
①縁を求める。
②よりすがる。たのみとする。「杖に―・って歩く」「人を―・ってはいけない」
③てづるとする。「先輩を―・って上京する」
④心がひかれる。つられる。赤染衛門集「笛の音に神の心や―・るらん森のこ風も吹きまさるなり」
⑤言い寄る。本朝二十不孝「人の嫁など―・るを」
…なるほど。
「縁を求める」「よりすがる」「心がひかれる」というのは、やはりその相手の内面的要素を信じるという意味合いなのではないでしょうか。
あからさまにお願いしているイラストですね。(笑)
僕は正直こうした女性の武器には弱いのです。
それに対して、信頼は相手を「任用する」こと。
任せるということは、相手に今後の行動を委ねるということです。
現代の日本語では、「信用」と「信頼」とでは、このような違いがあるということなのでしょう。
✿midori*の考察の結論!٩( ᐛ )و
【信用】
相手の過去や業績から、その相手が必ず行動に移すであろうと、全幅の信頼を置くこと
【信頼】
相手の内面的要素から、行動に移してほしいという、その相手に対する主観的願望
教育業界でよく使われる言葉があります。
「子どもは信頼しなければならないが、信用はするな」
この言葉が結局、最も的 (まと) の中心を射抜いているように思います。
●人間は人を裏切る生き物
ここまでは「信用」と「信頼」の違いについてお話ししてきました。
ここからは先日記事にあげた、
「アドラー心理学」を交えてお話ししていきます。
アドラー心理学についての記事では、ざっくりと次のような内容をまとめました。
▶︎復習!⭐(アドラー心理学)
- すべての悩みは人間関係に起因する
- 課題の分離化をすることで、余計な悩みに囚われることがなくなる
- 目的論で考えれば、自分の感情をコントロールすることができる
- 「今」を全力で生き抜く
詳しい内容は前回の記事を読んでいただくとして、今回はこのアドラー心理学的な観点から、「信用」と「信頼」について考えてみようと思います。
(この記事の最後に「アドラー心理学」について説明した記事のリンクを貼っておきます!)
人間は基本的に人を裏切る生き物です。
そもそも自分が信じている相手が、
「こちらのことも同様に信じている」と考えること自体間違っているのです。
というのも、相手がこちらのことを信じるかどうかは、アドラー心理学の観点から考えてみると、「相手の課題」だからです。
こちらが相手のことを信じているからといって、相手がこちらのことを信じるかどうか決めるのは相手自身です。
さらに言うと、相手はまったくそのつもりはなくて、こちらが勝手に「裏切られた…!」と感じてしまうこともあります。
ということは、「裏切られた」と感じるかどうかはむしろ自分自身の課題ですよね?
目的論で考えれば、自分が「裏切られた」と悲壮感を感じたいがために、相手の行動のせいにして、自分自身が相手を「裏切っている」んです。
さて、ここまでの僕の考えを踏まえて、あえてあなたにお尋ねします。
あなたはこれまでの人生で誰かに「裏切られた」と感じたことがありますか?
もう一度お伝えします。
人間は人を裏切る生き物です。
この言葉には自分自身さえも含まれている、そう僕は思うのです。
自分自身が無意識のうちに誰かを裏切っている。
そのことにまず気が付けるかどうかが「信用」に繋がるのではないかと思うのです。
「メタ認知」というやつですね。
自分自身を客観的に、まるで自分が主人公の映画を自分自身が観ているかのように、見られるかどうかで、誰かを裏切ってはいまいか初めて意識することができるのです。
このメタ認知の力こそが、先日コンテンツ記事として発信した「鳥の心得」を持つということなのだと僕は考えています。
人間は基本的に人を裏切る生き物です。
しかし、僕は常に誰かを信じ続けられる人間でありたい。
そう思います。
友情にしろ、恋愛にしろ、どれだけ人に裏切られても、こちらが相手を信じ続けられれば、裏切られたことにはならないのだと僕は思います。
●現代は「信用」の時代
これは以前から巷でよく耳にする言葉ですよね。
信用はお金を生み出すんです。
どういうことかというと、わかりやすく言えば「クレジットカード」。
信用のある人間のみが、そのお金を精製する
魔法のカードを持つ資格があるのです。
(ご利用は計画的にっ!☆〜(ゝ。∂))
突然ですが、みなさんは「J.Score」というアプリをご存じでしょうか?
みずほ銀行とソフトバンクによって設立された日本初のAIスコア・レンディングアプリです。
最近少しずつ知名度を上げてきている、自分の信用度を数値化するというものです。
そのアプリ内では、簡単なアンケートに応えたり、一日の行動を記録したり、無料で読める書籍を読んだりするだけで、AIがデータを解析して数値化することで、自分の信用度が上がっていくんです。
そして、これがこのアプリの肝となる部分なのですが、金融機関と提携しているため、信用度が上がっていくにつれて、融資サービスで受けられる金額も上がっていくんです。
さらに、最近ではこのアプリと提携している大手企業も増え、「JTB」や「RIZAP」、「髙島屋」などのお得な特典も受け取れるようになります。
自分の信用が数値化される。
これまでにはなかった発想ですよね。
しかし、一定数はこうした新鋭的なものに対して抵抗がある方もいるかと思います。
自分の情報を入れるんでしょ…?
個人情報を入力するのってなんか怖くない…?
自分の行動を誰かに監視されているみたいで嫌…
おっしゃりたいことは、よくわかるのです。(笑)
情報漏洩とか、仮想通貨のこととかニュースを見ると、自分の個人情報を誰かに知られるのってなんだか怖いですよね。
特に今のこの情報過多社会ではなおさらだと思います。
ただ、
今のこの社会をもう一度よく直視してください。
アベノミクスによって円安に向かって、一部の者だけが得をする政治が行われたかと思えば、オリンピック景気を前にコロナウイルスで日本経済はもうめちゃくちゃです。
デマの情報に流され、生活必需品を我先にと人々が奪い合う社会です。
お互いに信じあうことも忘れ、自分の保身しか考えられない人々がいます。
こうした社会の中で自分と、大切な人を守るために何を信じるべきなのかをもう一度胸に手を当てて考えていただきたいのです。
我々が信用しているものとはいったい何なのか。
SNSで拡散される発信源も根拠もわからない情報ですか?
インターネット上でいつ公開されたのかもわからない情報商材ですか?
誰から発信されたのかもわからない、友だちの友だちから聞いた話ですか?
アプリやCGなどで加工された写真や動画の内容のことですか?
僕たちが真に信じるべきものとは、
「自分自身」と「自分が信じる人との繋がり」
ではありませんか?
これまでにもずっと記してきたように、
「信用とは、これまでのあなたがどれだけ周りから信じられているのか」
です。
情報過多のこの世界で、何が正しくて、何を信じるのか、そしてあなた自身も信じられる人間なのかどうか、客観的に、そして俯瞰的に落ち着いてもう一度この世の中と自分自身を見つめ直しましょうよ。
やかましいわ!!!
若造が何説教垂れてくれとんねん!!!
お前こそ信用できんわ!!!
わかっていますよ、そんなことぐらい。
わかっているのです。
ただ、では誰がいったいこのもどかしい世界に対して物申すのですか?
あなたはこの悲しい現実を前になんとかしようと何か行動しているのですか?
少なくとも僕は、僕の手の届く範囲にある大切なものに関しては、僕の人生をかけてでも守り続けていきたいと思いながら、毎日必死に生きているんです。
そして僕はこの暗い世の中を照らす灯火を掲げたんです。
誰に叩かれようが、僕は倒れません。
何をされようが、僕は挫けません。
骨を折られようが、罵声を浴びせられようが、僕の信念は決して曲がりません。
これが僕の、そして父が僕に教えてくれた、僕なりの武士道なんです。
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【参考リンク】
●「幸せになる心理学: アドラー心理学」
●「鳥の心得」