【2020年3月15日 (土) 】
ども!
midori* (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و
今日は小学校からの友だちと久しぶりに語り合いました(^^♪
実は僕は小学生の頃、「将棋道場」に通っていたのですが、その友人も気が付けば一緒に通う仲になっていました。
小学6年生の頃はその友人とほぼ毎日、「将棋」か「Final Fantasy VII」しかやっていなかったように思います。(笑)
ちなみに僕は中学校に入学後、野球部に入ったので、将棋と部活を両立することができず、辞めてしまいました。
実はそこそこ強かったのですよ?(笑)
市の代表にも選ばれたことがあるんです。
県の大会ではボロ負けしましたが。(笑)
将棋のプロになるためには、一般的には小学6年生ぐらいまでに「プロ六級」レベルになり、プロ棋士との接点を持ち、プロ養成所「奨励会」に入らなければなりません。
ちなみに「プロ六級」と聞くと「たいしたことねぇじゃん」と感じるかもしれませんが、アマチュアで言えば「三段」レベルなので、とてもとても厳しい世界なのです。
奨励会に入ることすら非常に難しいんです。
かなり早い段階での年齢制限がある。
実力は各道場のトップレベル。
僕は小学6年生の段階でアマチュアで言えば「初段」レベルだったので、プロにはまだまだ程遠い世界です。
もう少し本気出せばよかった。(真顔)
「奨励会」というのはプロ養成所のようなところで、そこで26歳までに「プロ四段」になっていなければ強制的に退会させられてしまいます。
本当にテレビに出ているような棋士たちは、全国でほんの一握りしかなれません。
はっきり言って、「無理」です。(笑)
(midori*談)
それでも当時は純粋にただ「楽しいから」将棋を差していました。
というわけで、僕は毎週その友人と電車に乗って将棋道場に通っていたというわけなのです。
●旧友との再会
しかし、中学校に入学してからというもの、お互いに忙しくなり、話す機会も少なくなっていました。
それに中学生の頃って、いわゆる「思春期」で多感な時期なので、性格もお互いに変わっていくじゃないですか。
僕は硬派 (?) で無口な野球少年。
友人は少しやんちゃなクラスのムードメイカー。
関わる機会も少なくなり、中学卒業後に再会したのは成人式のときでした。
そのときも特に話すこともなく、ぶっちゃけ僕はあまり覚えていません。(笑)
そして、2020年に入り、その友人から突然、
「会おうぜ!」「将棋しよう!」
と連絡がきたのです。
●お互い辛い人生を歩んできた
僕の実家はお寿司屋さんを経営しています。
友人から連絡をもらい、僕の家でお酒を交わすことになりました。
「成人式ぶりやから、〇年ぶりじゃね!?」
(〇に何の数字が入るか予想してみよう! ٩( ᐛ )و)
正直初めのうちは少したどたどしく会話をしていたように感じます。
お酒も入り、ようやくお互いのこれまでの人生について話すようになりました。
「俺は中学ぐらいの頃から、もうめちゃくちゃだったよ」
「高校は進学校なのに、俺は勉強もせず、単車乗り回して、たばこも吸って」
「そりゃ一応進学校やったし、そんなん仲良い友だちもできるわけもないわな!笑」
中学時代から、その友人がダークサイドに堕ちてしまったことには気づいていました。
だから僕も距離を置くようになったのかもしれません。
ただ、話を聞くと、僕が知らない物語がその友人にはあり、なかなかに壮絶な人生を歩んできたようでした。
「実は小学校の終わり頃に、身内が立て続けに自殺で亡くなったんさ」
「それで俺は将棋を続けられず、辞めたわけ」
「そこから俺の人生はめちゃくちゃになったのよ」
自殺、と聞くと今の僕にはグッとくるものがあります。
ほかにも人間関係、お金関係では裏切られる経験も山ほどしてきたようです。
「今は当時つるんでた人とも全部縁を切った。」
「手取り月12万の安月給の中でなんとか国家試験受けるために貯金して、毎日死ぬほど勉強してきたよ。」
「それでやっと柔道整復師っていう国家資格がとれて、今は自分の接骨院開きたいって考えて勉強しとるんさ」
「それに実は俺、また将棋を始めたんさ!」
「プロの段位とって、土日の暇な時間使って、小学生のために将棋道場とか開けたらなんか楽しそうじゃね?」
話を聞いていると、なぜその友人がそんなにあっけらかんとしていられるのか、まったく理解ができないような人生でした。
これはその友人の元々の性格なんでしょうかね。
そこは小学生の頃から変わっていないなと感じました。
僕にはない、その力をほんとに尊敬します。
「夏休み、無人島行ってキャンプしようぜ!」
「釣り竿とテントとコンロだけ持って、魚釣って、天ぷらにして」
「釣れやんかったときのために、一応どん兵衛だけ持ってさ」
そんな約束を交わし、僕たちは小学生ぶりに対局をしました。
先手、7六歩
小学生の頃の僕は、途中で入ってきてぐんぐんと実力をつけていくその友人との対局は、できるだけ避けてきました。
負けるのが怖かったんです。
将棋を本気で差すと、負けたとき、もうめちゃくちゃ悔しいんですよ。
自分の何が悪かったのか、どこで勝敗を分けてしまったのか、自分の頭のエンジンをフル稼働させて「好手」だと思って差した一手が、なぜ負けに繋がってしまったのか。
相手への敬意を払うことももちろん大切です。
「くっっっそぉ…!!!」
なんて口にも表情にも出しませんよ。
それでも「相手の方が自分より優っている」という事実に向き合うのがとにかく怖かったんです。
僕は将棋の駒を触るのも何年ぶりかというレベルです。
僕は「ゴキゲン中飛車・片美濃囲い」
友人は「棒銀・舟囲い」
決着は思った以上にはやくつきました。
midori*圧勝!\(^o^)/
「なんでや!」
「お前、絶対隠れて練習してきたやろ!」
ほんとに何もしてなかったんですよ…(笑)
そんなこんなで〇年ぶりの再会を果たし、楽しい時間を過ごしていたら、その友人に突然電話がかかってきました。
「…わかった。すぐ帰る。」
その友人のお父さんが倒れたそうです。
「なんで今日なんや…」
「でも、覚悟はしてた。」
話を聞くと、その友人のお父さんは「肝硬変」の末期で、病院から退院を余儀なくされていたそうです。
これは神様のいたずらか?
どうして僕の父と同じ病気なんだ?
どうして友人はこんなに明るい表情で、「覚悟はしてた」って言えるんだ?
僕が知らない間に辛い人生を歩みながらも必死で努力し、ソレを受け入れる「覚悟」を持てるほどの友のたくましさに、心から畏怖の念を抱きました。
僕はまだその「覚悟」すらまだできていません。
僕が知らない世界、悲しい現実に直面している人が、この世の中にはごまんといるのでしょう。
自分だけが辛い。
自分だけが悲劇の中にいる。
改めてそんな感情を僕は否定します。
なぜなら、人は同じ物事でも感じ方が一人一人違い、そして心のコップの大きさも一人一人違うからです。
その友人は僕が知らないような暗い世界の中を生き抜き、僕よりも辛い感情を日々抱いていたのかもしれません。
僕よりも大きなコップを持っていて、辛い現実にも真正面から向き合えるその友人には、やっぱり今も昔も敵わないな、と思いました。
それでも、明るく「将棋しようぜ!」と連絡をくれたその友人の力強い背中に、とびきりの感謝と尊敬の念を、ひっそりと彼に気づかれないように僕は送っていました。