どうもー!
ジョニー・デップです!٩( ᐛ )و
(本アカ:midori* (@tm_midori) )
春の暖かさを感じられる季節になってきましたねぇ。
なんだか春ってだけで新鮮な、何でもできそうな気持ちになってきます。
ただ、花粉だけは勘弁してほしい…(笑)
学生の方々にとっては入試の合格発表で一喜一憂する季節でもあります。
進みたい進路、目指すべき自分に一歩でも近づけたでしょうか?
その合否は今後の人生を左右する人生の重要な分岐点です。
人はその分岐点に立たされて、初めて選択を迫られていることに気が付くんです。
人生は重要な選択肢の連続。
選んだ道が正しい道なのかどうかはわかりません。
むしろ自分がその道を正しいものにしていくんです。
えっせらこっせらと、自ら目の前の道を切り開いていくしかないのだと僕は思います。
さて、今回のテーマは、「男卑女卑:平等と公平の矛盾」です。
なんや!!!
漢字ばっかやないか!!!
毎回毎回、とっつきにくいテーマばかりで、ほんとに申し訳ないとは思っているんですよ?(笑)
反省はしていませんが。(*´з`)
「男尊女卑」という言葉はみなさん一度は耳にしたことはあるかと思います。
最近では女性の社会参画が進み、だいぶ男女間格差が是正されてきているように感じます。
少なくとも僕が物心がついた頃からは、社会で活躍している女性が格段と増えてきているようには思います。
それでもやはりまだ女性にとって生きにくい社会というのは少なからず身近にあるのではないでしょうか。
今回はこの男女間格差について、そして「平等と公平」について、日本の歴史と研究調査のデータを交えながらお話していきます。
●男尊女卑の歴史
そもそも、なぜ「男性の方が偉い」社会が生まれてしまったのでしょうか。
実は日本の縄文時代まで遡ってみると、「女性の方が偉かった」そうです。
僕は縄文時代からこの世界の動向を眺めているので、そんなことも知っているのです。
その時代の生活は、「男性は狩猟」、「女性は木の実などの採集」が中心でした。
狩猟は一日の中で必ずしも成果が得られるとは限りません。
一方、採集は狩猟と比べれば成果が目に見えて得られる上に、貯蔵もできるため、生活の中心は採集だったと言われています。
そら男性のみなさん、頭上がりまへんわな!!!
そんな中、弥生時代の西暦180年頃、無数に分かれていたクニを女王「卑弥呼」が邪馬台国として統一します。
中国の歴史書『魏志倭人伝』には、「239年、女王卑弥呼が魏に遣いを送る」とあります。
卑弥呼は神のお告げや占い、呪術を使い、人々の心を掴む才能があったと言われています。
その時代になると、採集よりも稲作中心に生活になっているので、天候や病気などに人々の生活は常に脅かされていました。
その中で天災や未来を言い当てるミステリアスな女性が現れたら、
「この人、ヤバすぎん…?」
ってなりませんか?
実際は、卑弥呼がその姿を人々に見せることはほとんどなく、実の弟が卑弥呼の言葉を人々に伝えていたと言われています。
「卑弥呼様が仰せられるには…」
と、厳かに誰かが話し始め、その予言が的中していたら、「怪しい…」と思いながらも、信じざるを得ないですよね。
そして時代は巡り、男女の地位が明らかに逆転したのが「平安時代」の頃。
源平合戦が繰り広げられている時代です。
この時代になると、いわゆる「武士」という腕っ節のある男性が力を持ちます。
実力だけが自らの命と家族を守る時代です。
力の弱い女性は男性に身を守ってもらうしか生存する術がありませんでした。
そして時が流れた現代でも、この男性優位の社会の土台は生きながらえているんです。
明治時代以降も「働く」という行動で得られる報酬も男女間で格差がありました。
1874年、板垣退助らが「民選議院設立の建白書」を提出するまでは、一部の人が政治の実権を握り続ける中央集権国家でした。
大日本帝国憲法が発布された1889年、初めて国民にも選挙権が当てられます。
しかし、それは「満25歳以上、直接国税15円以上を納める男子のみ」に与えられた特権でした。
1925年のいわゆる「普通選挙法」と教科書に書いてあるものでさえ、「満25歳以上のすべての男子」と記されています。
これほどまでに男性と女性の身分格差ははっきりと分かれていました。
第二次世界大戦が終わり、ポツダム宣言を受諾した1945年にGHQの指導の下、「満20歳以上のすべての国民」に選挙権が与えられ、初めて女性の社会参画が少しずつ進められてきたのです。
「選挙」という制度ができて約100年もの間女性に社会へ進出することすら認められていなかったのです。
戦後も改革は行われてきましたが、それでも男性が外に出てお金を稼ぎ、女性が家事を行う時代です。
昔はそれでも一家の大黒柱として家計は回っていましたよね。
「誰の金で飯が食えると思ってるんだ!!!」
これって今でもドラマとかで耳にしそうなセリフですよね。
今のこの社会でこれを言ってしまったが最後、日本国内の全女性にボッコボコにされちゃいます。
それでもまかり通っていた社会が確かにあったんです。
第二次世界大戦以降も、この名残は根強く残ります。
資本主義の社会では、どうしてもお金を中心に人々の生活は成り立ちます。
仕事中心、会社中心の風潮ってあるじゃないですか。
お金を稼ぐって大変なことなんです。
それは女性であるというだけでさらに過酷なものとなります。
経済協力開発機構 (Organization for Economic Cooperation and Development; OECD) は2017年に行った調査で、
「日本の男女間賃金格差は、主要先進国G7の中で最も大きい」
と発表しています。
また、世界経済フォーラム (World Economic Forum; WEF) が2018年に行った調査では、男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数」もG7の中で最も低いと公表しています。
このジェンダー・ギャップ指数は、経済、教育、健康、政治の4つの分野を基にしたデータです。
ちなみに、2019年の日本の順位は153か国中121位で、過去最低です。
(前年2018年は143か国中110位)
これでも日本の男女間格差は改善されてきたのです。
1947年に、労働に関する基準を定めた「労働基準法」が制定され、男女間での賃金の格差が法律上是正されることとなりました。
しかし、これはあくまで「賃金」の格差を是正するに留まり、「雇用、解雇」についてはこの法律の及ぶ範囲内ではありません。
そのため、そもそも働くことのできない女性や不当に解雇されてしまう女性が出てきてしまったのです。
これを改善すべく1985年に制定されたのが「男女雇用機会均等法」です。
そして、その法律が施行されてから30年が経過した2015年 (平成27年) に、厚生労働省は労働における男女間格差の調査を行いました。
その調査によると、昭和60年から平成27年の間で、女性の雇用者数は「一貫して上昇傾向」にあり、昭和60年は1,548万人、2015年 (平成27年) は2,472万人の女性が会社に属し、働くことができるようになりました。
約926万人もの女性が雇用の機会を得られたということです。
さらに、その女性雇用者数を産業別に見てみると、
昭和60年は
「サービス業」が最も多く464万人、
次いで「製造業」が435万人、
「卸売・小売業・飲食店」が408万人という社会傾向がありました。
2015年 (平成27年) では、
「医療・福祉」が578万人、
「卸売・小売業」が495万人、
「製造業」が290万人ほどだという傾向の変化も見られます。
また、2015年では「事務系の業種」割合が女性雇用者数全体の中で29.1%と、最も多いことも分かっています。
これは個人的な見解ですが、学校教育の中から女性が前に出にくい社会の根が張り巡らされているのではないかと感じます。
そして最後に、雇用形態別の女性の人数に関する調査も記されています。
昭和60年は、
「正規の職員・従業員」994万人、
「非正規の職員・従業員」470万人。
2015年 (平成27年) は、
「正規の職員・従業員」1,043万人、
「非正規の職員・従業員」1,345万人。
女性の「正規の職員・従業員」49万人増
女性の「非正規の職員・従業員」875万人増
という社会全体の働き方に関する大幅な変化が見られます。
じゃあ、男性はどうなの?
当然そうした疑問は湧いてきますよね。
はい、それもばっちりおさえてあります!(`・ω・´)
さすが僕…(自画自賛)
今回は「雇用形態」について触れていきたいので、男性の雇用形態の動向について同じくここに記録しておきます。
昭和60年は、
「正規の職員・従業員」2,349万人
「非正規の職員・従業員」187万人
やはり、正社員でなければ社会に認められないような風潮というのがあったのでしょう。
それに対し、2015年 (平成27年) では、
「正規の職員・従業員」2,270万人
「非正規の職員・従業員」634万人
非正規で働く男性が447万人増という結果が出ています。
それでも昔のように「正社員でなければ…!」という風潮は根強く、現代にもその傾向は端々で見られ、どうしても息苦しさを感じてしまうような気がします。
ただ、社会の動向の変化として、総務省統計局が2017年の1年間の労働力調査というものを2018年2月に発表しています。
その調査では、「なぜ非正規で働くのか」というテーマを掲げ、近年増え続ける非正規雇用労働者の意識調査を行っています。
…結果発表~~~!!!(浜ちゃん風)
総合第1位、
「自分の都合のよい時間に働きたい」
総合第2位、
「家計の補助・学費などを得たい」
総合第3位、
「正規社員としての仕事が無い」
これだけ企業の人手不足でブラック企業の過労死問題が相次ぐ中で、「正規社員としての仕事が無い」わけがないだろうと僕は思うのです。
正社員としての仕事がないわけではなく、「希望する業種・職種の正社員としての募集がない」、あるいは、「希望する企業に入社できるだけの力量がない」、そもそも「何がやりたいのか自分自身はっきりしていない」だけなのではないかと思います。(バッサリ)
結局のところ、
「自分の時間があればいい」
「生活に困らなければ頑張ることもない」
世の中に移り変わろうとしているんです。
…罪なき青少年・清らかな乙女の諸君。
社会、大人をなめるなよ。(ゴゴゴゴゴ…)
●エゴイズムが社会を滅ぼす
誰にも迷惑かけてないし、別にいいだろ!!!
お前にとやかく説教される覚えもねぇよ!!!
言いたいことはそれだけかね…(ゴゴゴゴゴ)
最期に言いたいことはあるか…(ゴゴゴゴゴ)
日本の経済状況を真剣に考えていますか?
日本の経済状況の現状を知っていますか?
国際通貨基金 (International Monetary Fund; IMF) の2019年10月版の調査によると、
2018年の日本の経済成長率は前年比で「マイナス32%」
191ヵ国中の「170位」で、約20年前には全世界のGDPのシェアを18%も持っていたのに、この年のシェアはわずか「0.814%」
さらに最近では新型肺炎コロナウイルスの影響により、頼みの綱としていた「2020オリンピック」を目前にして日本経済はマイナス成長に突入しています。
本来であれば「オリンピック景気」以降には不景気になると言われていますが、そのオリンピック景気すらも見込みがないような状態です。
全世界での中国の経済力というのはもはや無視することができない存在感があります。
中国政府が全国に渡航禁止命令を出し、100万人の訪日中国人がいなくなってしまえば、日本に及ぼす経済的ダメージはそれだけで約2,500億円ものGDPが押し下げられてしまう見解もあります。
この現状ご理解いただけていますか?
さらに現実を突きつけましょう。
先ほどお話にも出した「コロナウイルス」。
あなたはマスクを買いましたか?
トイレットペーパーやティッシュを買い集めましたか?
なぜあなたはマスクをつけているのですか?
インフルエンザウイルスやSARSなどの細菌ウイルスは、マスクの繊維で防げるような大きさのものではありません。
普通にマスクの繊維の間を通過することができるほどの小ささです。
確かに手に付着した菌が鼻や口の粘膜に触れることでの感染はある程度防ぐことができるのかもしれません。
それならば、普段からしっかりと手洗いをした方が感染を防げませんか?
「マスクの大半は中国からの原料が由来」
「マスクとトイレットペーパーはその原料が同じ」
「近いうちにトイレットペーパーが不足する」
こうした情報を信じて我先にとスーパーやコンビニに足を運んでいる方も多いと思います。
しかし、結果論だとしてもその情報は「デマ」であり、誰が発信源なのかもわからないその情報を信じた人があまりにも多過ぎませんか?
もはや発信源を特定したところで現状を踏まえれば生活必需品が不足していることには変わりありませんし、その情報を拡散した人は「親切心」で友人などに広めていたかもしれません。
その行為自体に誤りはないと僕は思っています。
その思いやりの心はとても大切なものです。
人として決して忘れてはいけません。
ただ、僕が指摘したいのは、
「情報に踊らされている滑稽な人間像」
「我が身の保身にしか目がいかないエゴイズム」
これらがこの数か月で目に見えて表面化してきているということです。
先ほどは労働形態についての意識調査を取り上げました。
「誰にも迷惑をかけていない」
「自分の時間が欲しい」
「生活にさえ困らなければ無理に頑張る必要はない」
実際のところ、今の日本経済を支えている人々の年代で言えば、「ゆとり教育」を受けてきた人たちではないでしょうか。
その教育を受けてきた人々が今社会に出て、「楽に生きること」「自由に生きること」を全面的に出して、自分が毎日ご飯だけ食べられる分のお金を稼ぐ生活をしているのです。
その生活の中に「幸せ」を見出し、毎日幸福感に包まれながら生きているのであれば、誰からも文句を言われる筋合いはないのかもしれません。
もちろん、すべての「ゆとり世代」がこうした働き方をしているわけではないということはわかっています。
それに、基本的に「楽をすること」「自由に生きること」は常に追い求め続けなければならないものだと僕自身も思っています。
しかし、そうした「保身」の考え方が、今のこのパンデミックを前に均衡を崩した社会をさらに追い込んでいることに気が付いてはいないのですか?
いつまで平凡な日常に憧れを抱き続けているのですか?
アメリカはこのパンデミックを前に「非常事態宣言」を発令しました。
これは、「2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件」以来の緊急事態宣言です。
では一方、日本ではどうでしょう。
2020年3月20日 (土) 本日、文部科学省大臣は各地方に出していた「一斉休校」の要請を延長しないと発表しました。
人は目の前の壁が大きすぎると、その大きさを目で測ることすらできなくなってしまうようです。
今僕たちに必要なものは、国からの支援などではありません。
誰かからの救いを待ち続けたければ、その場で立ち止まって動かないでいてください。
「運が良ければ」誰かが助けてくれるかもしれません。
今のこの動乱の世の中で僕たちに必要なもの。
それは協調性や個性などといった生ぬるいものなどでは決してありません。
この時代の本質を見抜く力です。
SNSなど情報が溢れている社会だからこそ助けられることもあります。
助け合える社会でもあります。
しかし、その情報に翻弄され、自分の生き方さえ見失ってしまっている人が多すぎるのも事実ではありませんか?
あれだけ「協調性」だの「個性」だの教え込まれた人々の行動は、この天災を前に敵味方の見境なくその刃を振り回しているのです。
自分の考え、行動がこの社会を築き上げているんです。
あなたもその社会の一員なんです。
自分のふとした甘い思考が誰かを苦しめ、自分を律した行動が誰かを救うんです。
自分より人を優先しろ、と言っているわけではありません。
あなたはあなた自身のことをまずは最優先に考えるべきです。
ただ、この世知辛い世の中です。
目の前で座り込んで泣いている人がいたら、手を差し伸ばしてあげてください。
きっとあなたにしかできないことがあるはずです。
●平等と公平の矛盾
みなさんは「平等」と「公平」の違いを説明できますか?
「矛盾」はご存じですよね。
あれです。
「最強の矛」と「最強の盾」がぶつかり合ったらどうなるの?
ってやつです。
僕の予想だと、矛と盾が同時に砕け散って、最終的には殴り合いのケンカが始まるのだと思うのです…!(; ・`д・´)
結局のところ、「最強」っていう価値観はその人自身の中で決められたものなので、それが「真に最強」なのかどうかなんて実際にぶつけ合ってみなければわかりませんよね。
最強の矛が最強の盾を突き破るかもしれませんし、最強の盾が最強の矛を打ち砕くかもしれません。
「強さ」なんて所詮そんなもんです。
「自分は強い」と思うことなんて思い違いも甚だしいと僕は感じるのです。
そうそう、今回のテーマは「男卑女卑:平等と公平の矛盾」でしたよね。
ここまですっかり「平等」ということばも、「公平」という言葉も、一度も出てきませんでした。
お前…
熱くなりすぎて脱線しすぎただろう!!!
いやあ、ごめんなさい。。。(笑)
僕は素直だからすぐに謝ることができるのです。(ドヤァ)
さて、「平等」と「公平」の違いについてですが、ここで一つ僕の例え話にお付き合いください。
ここまで読んできて、まだお前に付き合わなきゃいけないのかよ!
まあそう邪険にせず、すぐに終わりますから。
あなたは3人兄弟の長男 or 長女です。
おかあちゃんから「みんなで食べな!」と、あなたはみかんを5つもらいました。
でも、困りましたねぇ。
「みんなで食べな!」と言いながら、みんなで分けられないじゃないか。
困ったおかあちゃんなのです。
あなたはこのときどう分け合いますか?
「平等」の観点で考えれば、「全員に1つずつ」みかんが渡るようにすべきです。
そうでなければ「不平等」な扱いを受けてしまう人が出てくるからです。
余った2つのみかんはおとうちゃんのために残しておきましょう。
では、「公平」の観点から考えればどうでしょうか。
だいたい想像はついているでしょうが、「あなたが1つ我慢すれば」弟や妹たちはきっと喜んでくれるでしょう。
だって、あなたは最年長さんなのですから。
その分配の決定権もあなたにあるんです。
みんながみんな喜んでみかんを美味しく食べられるように行動するのが「公平」な世の中ではありませんか?
あなたは少しだけ我慢することもあるかもしれませんが、その分誰かが喜んでくれるんです。
いやいやいやいや。
自分が我慢するとかありえんでしょ?
そうお考えになるのであれば、
あなたは「【平等】に価値観の重きを置く」思考です。
別にそれが悪いと言いたいわけではありません。
そうすればあなた自身も素直にみかんを美味しく感じられるようになるでしょう。
では、こちらの「例え話」ならいかがでしょうか。
あなたはやはり3人兄弟の最年長です。
いつも弟や妹の面倒をみる思いやりのある年長さんです。
そんなある日、3人で外へ遊びに行って家に帰ってみると、おかあちゃんの姿はどこにも見えません。
あなたはテーブルの上に置手紙を見つけました。
「急に同窓会に誘われておかあちゃんは今日は帰れそうもありません。あんたはよくできる子だから何でもできるわよね?」
そんな文のあとにはこのようなものが後付けされていました。
・夕飯作り
・お風呂掃除
・布団敷き
・洗い物
・朝ごはん作り
あなたはこの5つの仕事を上手く兄弟に割り振らなければなりません。
あなたはどのように振り分けますか?
…おやおやおや?
先ほど「平等」に重きを置いていたあなたです。
もちろんこの5つの仕事を「2・2・1」と振り分け、その一つの仕事だけをしたい、なんてこと考えてはいませんよね?
それでは「不平等」なかわいそうな人が出てきてしまいますよ?
弟や妹に仕事を押し付けて自分だけ楽しようなんて、「平等」の欠片もありませんよね?
そ、そういうことはじゃんけんで決めるもんじゃん…?
たしかにじゃんけんで決めるのであれば「公平」な判断です。
でも、先ほどは「平等」に重きを置いていたのに、自分の都合が悪くなると、「公平」に重きを置くなんてことありませんよね?
もし、返答に困るようなら、あなたは「平等」という自分自身の価値観を誰かにその矛先を常に向けながら生きていることになります。
少しでも後悔の念を抱いていただけるのであれば、それならば最初から「公平」に少しでも重きを置いて考えるべきではありませんでしたか?
自分の価値観なんてものは結局のところ、「強さ」と同じです。
自分の見えている世界の中でしか物事の価値って判断できないのです。
「男卑女卑」というのは僕の見ている世界の中での価値観です。
男性の方も、女性の方も、お互いを「平等」の価値観で縛り上げ、お互いを蔑む世界です。
お互いがお互いの足を引っ張り合う
「最低な世の中」です。
ショッピングモールなどで女性用お手洗いに行列ができているのを見て、男性の方は「なんであんなに並ぶんだよ…」と感じていませんか?
逆に、女性の方であれば「もっと女性用お手洗いを増やすべきよ!」って声を上げる方もいますよね。
その言葉を発した途端、「平等」にフルコミットした正義感の強い男性がすかさず反論します。
「いやいや、男性用も1つしかないんだから我慢しろよ…!」
もしくは別の方向に声を上げるかもしれません。
「女性用を2つにするなら、男性用も2つにすべきだ!」
僕からすれば、もはや「もうどっちでもいいや」の極致に入ってきました。
男性用が1つで稼働しているのであれば、わざわざ2つにする必要がどこにあるのです?
たしかに多少の不便さを感じていたのかもしれません。
それでもその不便さは、サービスを奉仕していただいているお店側のことも考慮した上で、「増設しろ!」と言っているのですか?
女性の方が快く生活できるのであれば、増設するのが1つで済むのであれば、別に多少の我慢ぐらいできませんか?
こうしたお話になると、まったくもって自分が「奉仕していただいてる側」だという自覚がない方が一定数いらっしゃいます。
今のこの現代でも、「お客様は神様」精神の方っているんですよ。
ほんっと、残念です。
自分が神様にでもなったつもりなのかもしれませんが、紛れもなく、あなたは紛うことなきただの「人間」です。
僕たちは奉仕してくださる方々がいるから毎日楽しく不便も感じずに生きることができているのです。
「お客様が神様」である高度経済成長期の頃の時代は、もうすでに終わっているんですよ?
先ほどは女性の視点に立って言葉を並べましたが、
逆もまた然り、です。
女性が社会に参画しやすくなった今だからこそ、女性の方々にも男性の力を改めて受け入れていただきたいのです。
弱音も吐かずに歯を食いしばって「大切なもの」のために毎日頑張って生きている男たちがいるのです。
「頑張ったねぇ」って言葉をただかけてほしいわけではないのです。
ただ、認めてほしいだけなんです。
男性も女性も、お互いの価値観で殴り合うような社会なんて終わりにしましょうよ。
これまでのことなんて所詮「過去」です。
僕たちは「今」を生きているんです。
「それでも私はこんなひどい扱いを…!」
「あいつから俺のことを裏切ってきて…!」
やめましょうよ、もう。
それではいつまで経っても「過去」の鎖に繋がれ、「今」を生きられなくなってしまいますよ?
この僕の文章を読んでいるあなたが何歳の方なのか、男性か女性かどうかもわかりません。
もしかしたら僕よりもウンと人生の大先輩なのかもしれません。
こんなちんちくりんな若造に説教垂れられ、はらわた煮えくりかえるような心持ちでしょうが、あなたの残りの人生、時間は限られているんですよ?
その時間も「過去」に囚われてしまっていては、単純に「もったいない」と僕は思うのです。
ほら、これって日本人ならではの「心得」ではありませんか。
もったいないオバケが出てきてしまいますよ?
どうせだったらその限られた時間の中で、楽しい思い出も喜びも、男性も女性も分け隔てなく分かち合えるような社会になってほしいじゃないですか。
僕の偏屈な眼で見た世の中なので、そもそも「男卑女卑」の社会なんてものはもうとっくの前になくなってしまっているのかもしれません。
それなら僕の「眼」が悪いだけです。
僕の眼が悪いだけであってほしいと僕は願っています。
僕が目指す社会というのは、「男尊女尊」。
男性も女性も、若者も長老も、皆が皆、お互いの価値観を尊重し合える社会です。
お互い自分の少しの我慢で、誰かを救い合えるような世の中です。
高度経済成長期の頃の日本というのは、世界を圧倒するほどの力を持っていました。
経済成長率、圧倒的「世界No. 1」です。
「1位じゃなきゃダメなんですか?」
って言ってた方がいましたが、僕は
「1位に拘らなければ、ほかに何に執着心を燃やすの?」
と頭の中が疑問符でいっぱいになってしまいます。
「個性?」
「努力?」
いやいや、何言ってんすか、先輩~。
「結果」がすべてだと、今の社会が物語っているではありませんか。
そのために僕たちはお互いの足を引っ張り合っている場合ではないのです。
お互いの足を、お互いに支え合い、さらなる高見へと目指すべきなんです。
そこからの景色というのは、キラキラとしていて、きっと「僕の眼」から見ても、
「さぞかし絶景なのだろうなぁ」
と夢見ながら僕は1日1日しっかり大地を踏みしめ、歩みを進めているのです。
【参考リンク】
●厚生労働省, 働く女性に関する対策の概況 (平成15年1月~12月):
●Yahoo!ニュース, 総務省統計局労働調査 (2018年発表):
●世界経済のネタ帳, IMF発表 (2019年10月版):