どうも!
midori (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و
今回のテーマは、
「自立、大人になるということ」です。
今の時期、大学進学や就職などで人生の分岐点に立っている方も多いのではないでしょうか。
春には新しい日常を過ごし、立派な大人に近づいていくことでしょう。
しかし!新生活を迎えて、「やっと大人だ!」と舞い上がる方々に、
お伝えしておきたいことがあるのです。
お伝えしておきたいことがあるのです。
「健全なる青少年、乙女の諸君!」
「よく聞いておいてくれぇえええ!」
竹原ピストルさんの
「よー、そこの若いの」です。
「よぉ、そこの若ぇの!」
「俺の言うことを聞いてくれ!」
「俺を含め誰の言うことも聞くなよ!」
いや、聞いては欲しいんですけどね。(笑)
また、今回はよく誤って混同しがちなキーワードも出てきます。
「自立」「自律」「独立」「孤立」
みなさんはこれらの言葉の違いを説明できますか?
●「自立」と「独立」「孤立」
まずは「自立」についてご説明をする前に、
「独立」との関係性についてお話ししておく必要があります。
「独立」との関係性についてお話ししておく必要があります。
よく親や先生に、
「早く自立 / 独立しなさい!」
と言われたことがある方もいるんじゃないですかね?
「自立」というのは「独立」とはまったく対照的な意味合いがあります。
「自立」は、
「他者とのかかわり合いの中で自分の足で立つ」ということなんです。
「もう自立してるよ!」
と言う方々の中には、
ひょっとするとまだ自立できていない方もいるのかもしれません。
人は自分の力だけではどうしても生きられない社会的な生き物なんです。
また、自立できている人は自分のことを信じられる人間であると僕は考えています。
「…どういうこと?」
ですよね。(笑)
社会で生きていく上で人との繋がりはどうしても避けることはできません。
その中で自分を他者と比べて、自分を卑下してしまってはいませんか?
「あいつはあんなにすごいのに、俺・私は…」
そうした妬みや嫉みの感情も入り乱れながら、
最終的に自分に「自信」を持てなくなってしまっていませんか?
最終的に自分に「自信」を持てなくなってしまっていませんか?
「自信」は、「自分を信じる」と書きます。
自分のこれまでの経験や培ってきた人生を信じる力があるということです。
他人にはない、あなたにしかない人生があるじゃないですか。
それを信じられる力が強ければ強いほど、
人って前に突き進んでいけると思うんです。
自信があれば自分の足だけで立つことができる。
故に、「自立」のためには「自信」が必要。
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先ほど、「人は社会的な生き物」というお話をしました。
食べ物も自給自足、お家も自分で建てた、山の中で生活している、というのであれば社会には属していない生き方と言えるのかもしれません。
ただ、そうした方は極々少数です。
学校に通っていたり、仕事をしていたりする限り、必ずどこかの「社会」の中で生きることになります。
その社会の中で他者とかかわり、支え合って生きるというのが本来の人間のあるべき社会的な姿なんだと思っています。
中には他者を蔑むことで自らの承認欲求を満たそうとする方もいるかもしれません。
ただ、そうした人はまだ「自立」も「自律」できていないのです。
人間は社会的な生き物。
「他者と支え合う」ということは、ときには誰かに助けられることもあり、さらにこちらが誰かを支える立場にもなるということなのです。
「自立」とは、社会の中での「相互関係」の中で生きるということなんです。
みなさんは誰かを支えられていますか?
誰かの気持ちを無下にはしていませんか?
自分の生き方の中にこうした行動が組み込められていないうちは、本当の意味で「自立」できてはいないのではないかと思うのです。
再びになりますが、
「独立」というのは「自立」とは対照的な言葉です。
独立とは、「独りで立つ」と書きます。
人は社会的な生き物である以上、どうしても何らかの形で他者との繋がりを持つことになるでしょう。
ただ、そうした社会の中でも人とのかかわりを断ち切り、独りで生きるというのが「独立」です。
起業をして、一人で生計を立てることを独立と言う方もいます。
ビジネス上ではそれが本当に独立なのかもしれません。
ただ、一人で生計を立てているといっても、その生計を立てられるのは誰かからの報酬を得ているということなので、やはり誰かとの繋がりは断ち切れないのです。
人ってどこまでいっても社会的な生き物なのだなあ、人との関係は断ち切れないのだなあと思います。
「さっさと独立しなさい!」
と、親が子に言い放ってしまうのは、
「さっさと独りぼっちで生きていきなさい!」
と言っているのと同じことなんです。
だから僕は子どもと接する際に「独立」という言葉は絶対に使いません。
また、「孤立」はどのような意味合いがあるのでしょうか。
孤立と聞くとなんとなく「寂しい」イメージを持たれる方が多いでしょう。
そのイメージは正しいです。
そもそも「孤」という字は、
実は「みなしご」とも読みます。
「みなしご」というのは親のない子どものことです。
誰からも助けてもらえない、優しい言葉をかけてもらえない状態のことです。
特にこの「孤立」というのは強いメッセージ性があるように僕は感じてしまいます。
「自立」とは、社会の中で他者との相互関係の上で生きるということ。
「独立」とは、他者との繋がりを断ち切り生きるということ。
「孤立」とは、誰からも助けを受けられず、独りで生きるということ。
教育や人生という観点から見ると、このような違いがあるのではないかなあと僕は思うわけです。
●「自立」と「自律」
ついに出ました。
同音異義語です。
海外の方からすると、
「WHY!?ジャパニーズピーポー!!!」
って感じだと思います。
これらのキーワードは同じ読み方をするため、どうしても混同してしまう、勘違いをしてしまう方も多いです。
ただ、同じ音の響きだとしても、日本語はその文字に込められた想いがまったく異なるのです。
日本語って難しいですよね。
海外の方が日本語を勉強していてまず困惑してしまうのは、こうした「同音異義」の言葉だそうです。
あれです。
「箸」と「橋」
「雨」と「飴」
みたいな。
同じように、「自立」と「自律」とではその言葉に込められたメッセージというのはまったく異なるのです。
「自立」については先程お話しした通りです。
では、「自律」とはどういうことなのでしょうか。
「自律」は「自らを律する」と書きます。
律するというのは簡単に言うと、
「コントロールする」ということです。
AIが発展してきて、いずれ人間を超えてしまうのではないかと言われていますが、それは有り得ないと僕は思っています。
突然何を言い出すんだ!って感じですね。(笑)
人はロボットとは違い、
「心」や「感情」を持つ生き物です。
感情というのは脳の「扁桃体」というところから発せられる電波信号なのだそうです。
突然あなたの目の前にボブサップが現れたら、
「きゃ〜♡」って気持ちになるよりも速く、
「恐怖心」という感情が芽生えませんかね?
(注: ボブサップさんは悪くありません)
扁桃体から「恐怖」という電波信号を脳に送ることで、「逃げろ〜!」ってなるわけです。
これは人間だけでなく、命を持つ生き物の多くが持っている機能なのだと思います。
しかし、
その感情も突き詰めていけばただの電波信号。
その信号すらもAIは作り出してしまうのではないかと言われているんです。
恐ろしい世の中ですよね。
物騒なお話になってきましたね。
いきなりこの世界にシュワちゃんみたいなターミネーターが現れて世界をぶっ壊しに来る時代が本当に来るかもしれません。
ただ、それでも間違いなくAIには「自律」をすることはできないと僕は思っています。
自らを律する。
それは、「自らの心を律する」ということです。
心は常に合理的な判断を下せるようにはできていません。
値段の高いお寿司屋さんと安いお寿司屋さんがあったとして、美味しさも同じようなものだとしたら、普通に考えたら安いお店に行くじゃないですか。
でも、「常連だから」とか「大将と話したいから」とか、色々な理由で一定数の方々は高いお店だとしても行く方がいると思うんです。
人やAIは合理的には考えられても、
心はその合理性とはほど遠い所にあるものなんです。
いくら感情を作り出すAIが現れたとしても、それを最終的にコントロールするのは「自分の心」なんです。
AIであればもちろん合理的な判断を下すことでしょう。
おいしさの観点を除けば、当然値段の安いお店に行くことでしょう。
でも、人であれば
「最近客減ってきたやん!」
「しゃあないでワシが来たったわ!」
って言ってくれるんです。
これは自分の感情や心を自分で律することができているという証なんです。
人との繋がりを大切にし、合理性からは外れた行動をしてしまうのが「人間」なんです。
自分の心を律することができる。
この状態を「自律」と言います。
だから、「自立」と「自律」とでは、
まったくその意味合いが違っているんです。
●大人になるということ
ここまでは僕の精神論のようなお話になってしまいました。(笑)
ただ、青少年と乙女の方々には知っていてもらいたいのです。
大人とは、
「自律できていて、自立もできている人」のことです。
年齢が二十歳になったからといって、本当に大人になれたのかというと、実は怪しい人もいます。
そして、これも知っておいて欲しいのですが、
「大人になるということは、
自分の人生に責任を取れるようになる」
ということです。
例えば小中学生のあなたが「つい出来心で」お店の商品をお金を払わず、お店を出てしまったとします。
それを咎められた時、
頭を下げて謝るのは誰ですか?
もちろんあなたは全力で謝罪をするでしょう。
そうすれば「自分でその責任を果たした」と感じられるからです。
でも、あなたがしてしまったことで、
あなたが望んでいなかったとしても、
隣で同じように頭を下げてくれる人がいるはずです。
その人がいてくれるうちは、
自分の人生の責任を一人では果たせないのです。
進路のことや将来のことなどで悩み、
自分の人生の方向性はあなた自身で決めるべきです。
悩み抜いて進んだ先で、挫折をしてしまう。
その覚悟もあってその道を選んだ。
自分がやりたいことは自分で決めている。
でも、ただそれだけで、
「自分の人生に責任を取れている」と
勘違いはしないでください。
それが「大人になる」ってことなんです。
●結局何が言いたいの?
ここまで社会的にはまだまだぺーぺーの僕のお説教のようなお話になってしまいました。(笑)
「若造が何偉そうに語ってんだよ!」
って感じてしまった方もいるでしょう。
でも、それでもいいんです。
僕は僕の言いたいことを言う。
やりたいことをやる。
他の人の人生に迷惑さえかけていなければ、僕の好きなように僕だけの人生を歩ませていただきます。
あなたのその気持ちもすべて僕は受け止めます。
不快な想いをさせてしまったのであれば謝罪をします。
ただ、
頭を下げるのは「僕一人」だけですけどね♪
– – –
「兎角忘れてしまいがちだけど」
「兎角錯覚してしまいがちだけど」
「例えば芸能人やらスポーツ選手やらが特別あからさまなだけで」
「必死じゃない大人なんていないのさ〜♪」
曲: 竹原ピストル『よー、そこの若いの』