ハロー!
midori* (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و
今回のテーマは、
「幸せになるための心理学」についてです。
胡散臭っ…!!!
誰もがそう感じますよね〜(笑)
僕は自己啓発書というのが非常に嫌いで、
「お前の考えを押し付けてくるんじゃねえ!」
「そんなキラキラな前向きな思考ができるほど、こちとら陽キャじゃねえんだよ!」
という拒否反応を起こしてしまうんです。
そこで今回僕がご紹介したいのがこの一冊!
デデンっ!
デデンっ!
(ん…!?)
『嫌われる勇気』
(引用:Amazon.co.jp)
幸せになるための心理学、自己啓発の源流である【アドラー心理学】についてわかりやすく説いた入門書となっております!
(んんん…!?)
ちょっと待てーーーい!!!
自己啓発、嫌いなんじゃなかったんかい!!!
おっしゃる通り、ブーメランですね(笑)
自己啓発書が嫌いな僕は心理学については関心があるんです。
そもそも自己啓発というのは、
「自己」を「啓発」するものです。
他人に啓発されるのは自己啓発とは言いませんよね?
僕は自分の心や人生の答えを、自分自身で見つけたいんです。
友達の宿題の答えを写させてもらっていた小学生の頃、その答えを発表するのにどこか後ろめたさを感じませんでしたか?
自己啓発書は「自分が」意識高くいるための術を記録した書物に過ぎないんです。
だから、そのマインドが万人に受けるわけもなく、僕のようにそもそも読もうとすらしない人間だっていてもいいですよね。
自分の心を知るために、僕は心理学を学んでいるんです。
今回はその中でも特に最近注目度の高いアドラー心理学について、端的にポイントを押さえて綴っていきたいと思います。
●すべての悩みは人間関係に起因する
これがアドラー心理学の根幹となる考えです。
『あらゆる人の悩みはすべて人間関係に起因する』
この考えに触れたとき、僕は衝撃を受けました。
人間関係というのは、学校での友人関係であったり、会社での上下関係であったり、家族でさえも他人として考え、その関係性によって悩みが生まれるんだそうです。
自分の顔が気に入らないのも、誰かと比べて「劣っている」と感じるから悩むんです。
収入が少ないことに嘆くのも、誰かと比べているんです。
「他の人はあんなにお金に困らず、幸せそうに生活しているのに」って。
これは極論ですが、アドラー心理学とは、
「世界に最初から自分一人しかいなければ人は真に幸せになれる」というような考え方です。
ただ、人は社会的な生き物なので、人との繋がりをすべて断ち切ることはできません。
その上でこのアドラー心理学を学ぶということは、人との付き合い方や自分の人生の歩み方について、改めて見つめ直す機会になると僕は思うんですよね。
●課題の分離化
人と関わる上でまず大切なことは、
「課題の分離化」です。
「課題の分離化」です。
この課題はそもそもいったい誰のものなのかを考えるということです。
人は悩まなくてもよいことで悩んでしまう生き物なんです。
恋愛についても、相手が自分のことをどう思っているのか気になって、心が壊れてしまいそうになることってありませんか?
僕だってできることなら相手の心の中を直接見ることができたらってこれまで何度思ったことか…
でも、その「相手が自分のことをどう思うのか」って、そもそもその相手の課題ですよね?
こちらではどうすることもできない境界線が人との繋がりの中には存在するんです。
その境界線がハッキリとしていないからこそ、人は相手の課題にまで踏み込み、悩んでしまうんです。
相手が自分のことをどう思っているかはわかりませんが、自分の課題というのは、
「好きだー!」
「俺はこんな人間だー!」
って、まずは精一杯声を張り上げて伝え続けることではありませんか?
その結果、人間関係が壊れてしまったとしても、それは自分の課題と一生懸命向き合った結果なんです。
自分に拍手拍手なのです。
相手が自分のことをどう思おうと、それは自分の課題ではありません。そこでクヨクヨ悩む必要もない、ということです。
最初の一歩というのは、まずは自分の課題をハッキリとさせ、次に行動に移すということです。
「行動に移せない」というのであれば、それは自分の課題から逃げてしまっているのと同じことです。
目を背けてしまっているんです。
だったら、「その相手に振り向いてもらう」という目的も絶対に果たせませんよね。
それでいいのであれば、そもそも悩むなって話です。(ドンッ!)
また、実は自分は他人の課題に踏み込むことすらそもそもできないんですよ。
『You may lead a horse to the water, but you can’t make him drink』
(馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない)
これは英国の諺です。
人は誰かをその目的地に連れていくことはできても、相手がこちらの望んだ目的を果たすかどうかは自分の課題ではないんです。
実際に水を飲むかどうかを決めるのは、相手の課題なんです。
親が子に勉強をさせたいと思っても、実際に勉強するかどうか決めるのは子の課題です。
そのため、我が子が勉強に取り組まなくても、自分がとやかく悩む必要はないんです。
それでも好きな子には振り向いてほしいじゃないですか。
我が子には勉強してもらい、幸せな人生を歩んでほしいじゃないですか。
そのためにはやっぱり相手を目的地まで連れていく必要はあるんだと僕は思うんです。
相手に振り向いてほしいのなら、自分の想いを伝え続けて、相手がどうするのか最後まで見届けて、その自分の課題への責任を果たすべきだと思うんです。
我が子に勉強をしてほしいのなら、勉強に集中できる環境を整えてあげて、勉強と向き合えるような言葉掛けを心がけるべきだと思うんです。
ただ、その行動に移せたとしてもその目的が果たせるかどうかはわかりません。
そこで、アドラー心理学では「結果論」ではなく、「目的論」という考えを取り入れています。
●人はその感情を結果のせいにしている
人の一生が100年と言われるほどの社会です。
それだけ長く生きていれば、様々な感情を抱くこともあるはずです。
嬉しいことも、悲しいことも、色々ある人生じゃないですか。
時には好きな子に振り向いてもらえず、悲しい気持ちを抱くこともあると思います。
自分が思い描いていた結果が得られず、辛い気持ちになってしまうこともあると思います。
でも、アドラー心理学ではこうしたやり切れない気持ちをズッパリと切り捨てます。
『人はその感情を結果のせいにしている』
我が子が勉強しないことに対して怒りの気持ちをぶつけてしまうことって誰しもありますよね。
「なんで勉強しないの!」
「こっちはこんなに色々しているのに!」
しかし、こうした怒りの感情は我が子が勉強をしないことによって引き出されたものではなく、「怒りの感情を引き出すために」我が子が勉強しないという結果のせいにしているんです。
よくわかりませんよね(笑)
誰も怒りたくて怒りの感情を出しているわけではありませんしね。
でも、この育児に関して言えば、我が子との繋がりを感じるために、怒りの感情を引き出しているとは考えられませんか?
(結果論)
我が子が勉強しない → 怒り
この結果論の考え方だと、過去の自分や他者の行動をどうしても変えることができず、前向きな気持ちで人生を歩むことができなくなってしまう時がきます。
(目的論)
怒り → 我が子との繋がりを感じる
この目的論の考え方なら、ネガティブな感情も前向き変えることができ、自分の感情をコントロールすることもできます。
我が子との繋がりを感じるために「怒り」という感情を利用しているんです。
その証拠に、顔を真っ赤っかにしていても、電話がかかってきたら声のトーンがすぐに変わるお母さんっていますよね(笑)
そのため、恋愛についても同じことが言えます。
(結果論)
振り向いてもらえない → 悲しい、辛い
(目的論)
悲しい、辛い → 人に優しくしてほしい
相手が自分に振り向いてもらえなかったら、そりゃ辛いですよね。
ぼっち陰キャの僕にもわかります。
その辛い感情って相手が振り向いてくれるまで続いてしまうと思うんですよ。
でも、どうしても振り向いてもらえないことだってあるじゃないですか。
その場合、あなたはその辛い感情をずっと持ち続けるのでしょうか?
目的論で考えれば、「人に優しくしてもらうために」辛い感情を利用していると考えることができます。
「フラれた〜…」
って友達に吐き出したら、きっとあなたの友達は優しい言葉をかけてくれるじゃないですか。
過去の自分についてクヨクヨする必要もありません。
自分がもし何か過ちを犯してしまったとしても、辛い感情をずっと持ち続けなくともいいんです。
自責の念に囚われてしまったとしても、時にはあなた自身、自分に優しくしてあげる時があってもいいじゃないですか。
過去の自分は変えられません。
時の流れには逆らえないのです。
それなら過去に何があったとしても、前に進んでいくしかないじゃないですか。
立ち止まることもあるでしょうが、休み休みでもいいから、歩き続けるしかないじゃないですか。
今のその辛い感情も、これまで感じることができなかった人との繋がりを感じるために自分が引き出しているだけなんです。
不安を感じるのも、どうすることもできない未来のせいにしているだけなんです。
アドラー心理学は「今」を生きる心理学なんです。
●今を生き抜く思考術
前述したように、過去も未来も自分ではどう変えることもできません。
あなたがすべきことはただ一つ。
「今を全力で生きる」ということだけなんです。
たとえ、辛いことや悲しいこと、怒りや嫉みといった負の感情を抱いていたとしても、それもすべて前を向くためのベクトルに変えて生きるしかないんです。
しかし、僕はこの目的論や課題の分離化を徹底して一貫する必要はないと考えています。
人は頭では理解できていても、身体が言うことを聞いてくれないというエラーを起こしてしまう生き物です。
常に前向き人間って、僕は個人的に苦手なんですよ(笑)
時には落ち込んでもいいんです。
時には泣いたっていいんです。
それが人間らしい生き方じゃないですか。
ただ、最終的に自分の人生が幸せな方向に一歩踏み出すことができれば、今の辛い感情も「幸せになるために」引き出されたものだと気づくことができる日がきっと訪れると信じています。
「今」というこの一瞬を生き抜いてください。
きっと「幸せ」を感じられる時が来ます。
その時がくるまで、僕は僕の手が届く範囲にいる人だけでも、共感の声をかけ続けていきたいと思っています。