●【コンプレックス】の話
あなたは、「コンプレックス」という言葉をご存知ですよね?(グイッ)
「私、鼻が低いのがコンプレックスでぇ~…」
「実は身長低いのが昔から気になってて…」
・・・
ふざけるなぁあああ!!!
「コンプレックス」はその程度のものじゃ
ないんだよぉおおお!!!
ごほんっ…
「コンプレックス」という言葉は、
実はユングが生みの親だと言われています。
コンプレックスというのは、
簡単に言うと、
「無意識の中の闇」です。
???
そうですよね…(笑)
僕の語彙力の無さ…
コンプレックスというのは、
これまでの経験の蓄積の中で、無意識の内に「A」というものと、本来であればまったく関連性のない「B」というものを結び付けてしまっている心的状態のことを指します。
例えば、「黒い折り紙」を見ると、なぜだか不安な気持ちやそわそわしてしまうような心のざわめきを感じてしまう人はいませんか?
これは、
「黒」→「暗い」→「悲しい」
→「お葬式」→「死」
というように、感情によって結び付けられているためです。
この一連のまとまりのことを
「コンプレックス」というわけなのです。
ここで「ビビビッ」と来たそこのあなた!
「トラウマ」とは違うの?
なんか関係あるの?
そう思われましたよね!?
素晴らしいです。
僕のこの長々とした自己満足の塊のような文章にお付き合いいただいているだけのことはありますね…
拍手拍手なのです。
「トラウマ」とは、「精神的外傷」。
肉体的、精神的に非常に強いショックを受け、記憶の中から消し去ろうとしたもの、自身でさえ忘れてしまった心の傷のことを指します。
そのため、「コンプレックス」によって、何らかの要因、何らかの感情から、それが「トリガー」となって、そのトラウマが再び蘇り、心を蝕む恐れがあるのです。
この「トラウマ」、
「自分の記憶から消し去られている」
というのが厄介なところ。
「忘れたい」ものほど、心を気付かぬうちに蝕んでいるものなのです。
「コンプレックス」は、「トラウマ」を蘇らせ、無意識の中で自分の心「自我」の成長を妨げてしまうものなので、人生を豊かなもの、幸せを享受することを目に見えぬところで妨害してきます。
生きていく上で、
「人生最大の宿敵」だと思いませんか?
「Final Fantasy VII」で言えば、
「セフィロス様」なのです。
どうです?
「鼻が低い」とか言ってたあなた。
反省してください。
コンプレックスの原因は、
「心の中へ受け入れられなかった経験」
「無意識の中に潜み、これまで自覚したこともない内容」
この二種類に分けられます。
自分の無意識の世界に在って、
直接的にどうすることもできない黒い塊。
それは次第に強力な支配力を持ち始め、ふとしたときに自分の「心のコントロール」を奪い取ってしまいます。
そうなってしまえば、もう元の姿に戻ることは難しくなってしまうでしょう…
しかしながら、自分の心「自我」を正常に保つために、人は無意識の内にこのコンプレックスに立ち向かっているのです。
それが、
「自我防衛の規制 (defense mechanism) 」 というもの。
今回はそのうちの二つをご紹介します。
(まだ続くのぉ!?)
(もう疲れたよ!)
『完全無視』
◆ 同一視 (identification) ◆
これは、大小、形も様々なコンプレックスがある中で、
どれかの「コンプレックス」と「自我」が同一視され、
コンプレックスによって自我がコントロールされてしまう状態のことです。
普通の人であっても、多少はそのコンプレックスと同一視を行なっているものです。
例えば、
男性であれば父親に、
女性であればその母親に
よく似た考え方や行動をしていることってありませんか?
学生時代あれだけ毛嫌いしていた親の言動を、
気が付くと自分もやっている。
そんなこともありますよね?
これが、男性の「母親との同一視」が強かったり、
女性が「父親と強い同一視」を行なっていたりすると…。
極端な場合、「同性愛」の性癖を持つこともありえます。
気質が自分の身体的な性別を超えて、心が異性へと姿を変えていくことも考えられるということです。
僕は別にそうした人に抵抗があるわけではありませんが、
「一応念のため」お伝えしておきます。
僕の恋愛対象は女性です…
あるいは、
同一視の力が甚だしくなり、
「私は神だ」
「世界は我が手中にあり」
と本気で信じ出したら、非常に危険な状態です。
このように、
「自我」と「コンプレックス」とが対立し合い、
コンプレックスの方が優勢となってしまった場合…
「妄想型の分裂症」
「統合失調症」
このような症状に苦しんでいる方々が実際に多くいるのです。
◆ 投影 (projection) の規制 ◆
自分の心の奥底にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外界の何かに映し出し、あたかも自分のことではないかのように認知する。
これを、
「コンプレックスの投影」
といいます。
実際、
「人はみんな、ズルイものですよ」と主張する人が、非常にズルイ人であったり、「人というものは結局薄情なものです」と嘆く人自身、あまり親切な人とはいえないような場合も多いです。
そして、これらの場合、
「人は」とか、
「人というものは」という一般的な呼称の中に、
その言葉を放っている自分自身は含まれていないような感じがあるのも面白いところです。
ほかにも、
「女というのは…」
「男っていつも…」
こういうのが口癖の人はいませんか?
ギクッ…!!!
自分が向き合いたくないものを、他者に映し出すことでそれを攻撃するのです。
これが過剰に行われ過ぎると、まるで「正義感」「使命感」のようなものまで感じられ、非常に攻撃的な言動で人を傷つけてしまうことになります。
しかし、それでは自分自身の心の中にあるコンプレックスとは向き合っていませんよね?
そうやって自分が見たくないものから目を逸らし続けて生きていくようでは、本当の苦しみからはいつまで経っても解放されません。
もちろん、これは「自我防衛」の術なので、
それが一概に悪いことだとは言いませんが、
少しでも心の中に余裕が生まれた時には、
他者の「言葉」「感性」「価値観」を受け入れる
自分の言動を見つめ直してみる
自分自身の「忘れたい記憶」と向き合ってみる
これらを心掛けてみてはいただけませんか?
絶対に「遅すぎる」ということは決してありません。
「今」から変われば、数年後には幸せな明るい人生を歩んでいるかもしれませんよ。
●結論…
これまでの項でお話ししたことをおさらいします。
・心の性質は「外向的」「内向的」に分けられる
・人はどちらの性質も持っているが、優勢の性質が表れる
・心の機能は4つに分類される
・生きにくさを感じるのは
「コンプレックス」が原因かも
・人は無意識の内に「コンプレックス」を作っている
・「自我」と「コンプレックス」との摩擦には「苦痛」が伴う
・時として「コンプレックス」が「自我」の制御を奪う
・「自我防衛」によって様々な人の在り方が生まれる
・他者や自分と向き合う時間を作って…
いやぁ~~~…
長かったですね…!?
(お前が言うな)
この自分自身の「コンプレックス」とちゃんと向き合い、「自我」の内に統合していくことで、自我は成長します。
自分の心は強くなります。
ユングも言うように、要するに、
「コンプレックスの解消」を目指すのならば、それと対決していくしかないのです。
精神科に通ったり、カウンセリングを受けてみたり、何らかの怪しげなセミナーに足を運んでみたりすることで、本気で「救われる」と思っている人が多いと思うのです。
むしろ、「多過ぎる」。
情報社会なので、誰もが気軽にそうしたものに手を出すことができるようになってきました。
それ自体はとても「良いこと」です。
よくインターネット上で、
「○○診断」
というのを目にします。
これは面白半分でやってみたことがある人も多いのではないでしょうか。
先日「HSPって?」という僕の記事で取り上げた「HSP診断」。
これもまた同様です。
これで自分が「HSP」という気質を持っていて、他にも自分と同じように息苦しさを感じていることを知って、心のどこかで安堵した人も多いでしょう。
実際、それで「人生が救われた」と感じている人も多いかと思います。
ここで突然なのですが、
ここまで読んでくださった、
こんな僕のことをフォローしていただいている「変わった気質」をお持ちの方々を「逆撫で」するようなことをこれからお伝えします。
その診断も、
所詮はたかだか
「他人やAIによって導き出されたもの」に過ぎない。
もちろん、
信じることで救われる命もあります。
信じることで幸せを感じることもあります。
これで僕のことを嫌いになるようであれば、それでも構いません。
そっと「フォロー解除」のボタンを押してください。
しかし、僕は、
その他人からの評価、それをすべて信用するのではなく、
「自分自身の価値観のものさし」で
「真実」を見定めてほしいし、
見つけてほしいのです。
だから僕はこの「ユング心理学」から導き出せる「8つのマインドタイプ」の内、あなたがどこにあてはまるのか、ここで白黒つけるつもりはありません。
自分のマインドタイプは自分自身で見出すものだと思うからです。
そしてそれを怠るような人であってほしくないのです。
何度もお伝えしますが、
自分の生き方、人格、心の在り方というのは、
誰かが決めた型に
「あてはめる」のではなく、
「あてはまる」のです。
もし自分をその型にあてはめて生きるのであれば、それはそれで構いません。
それで幸せに生きられるのであれば結構です。
しかし、
それは「自分の人生」ではないと僕は思うのです。
自分が向き合うべきものとの対峙を恐れていては、何も解決しませんし、一歩も前に進んでいないのと同じことです。
そして気が付けば
「どうしてあの時あんなことを…」
という後悔を繰り返す人生です。
別に後悔するならすればいい。
正直、僕の人生に悪い影響を及ぼさないのであれば、好きなだけ後悔するがいいさ。
思う存分後悔して、人生の底につけば気が付くこともあるだろう。
結局のところ、
自分の人生を豊かにするために、
目の前の苦痛を乗り越えるために、
心を蝕む闇を振り払うためには、
その闇と面と向かって対峙しなければならないんです。
薬や心理療法によって、
すぐに心が癒えると思っている人もまだまだ多いです。
この苦しみを本当の意味で共感してくれる人なんて、ほんの一握りです。
悩みを解決するためには、
悩みと対決しなければならず、
そして悩みを深めることでもあるのです。
苦しいですよ。
怖いですよ。
逃げ出したいですよ。
それでも戦い続けなければならぬ人生なのです。
僕はこの「いばらの道」をしっかりと踏みしめ、「痛み」を以って「生きている」ことを証明しているのです。
【参考文献】
・『ユング心理学 入門』(河合隼雄, 2015, 岩波書店)