▶︎「転」のストーリー
あなたは僕の「闇」に触れる覚悟がありますか?
もう一度問い直します。その覚悟がおありではない方はそのままそっとブラウザを閉じてください。
(ここまで読んでくださり、ほんとにありがとうございました!)
ここからは僕の現状と現実を僕の感情の気が向くままに、ありのままに綴っていきます。
先にご理解していただきたいのですが、これは「僕だけが悲劇の中心にいる」とか「同情してほしい」ということをお伝えしたいわけではありません。
ただ、「事実」だけをつらつらと連ねるだけです。
もちろん僕より辛い経験をしている人は世の中にはごまんといることでしょう。
だから、「自分だけどうして…」というようなことは考えてもいません。
ただ、人は心のキャパがそれぞれ違っているんだと思うんです。
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「心のコップ」という僕の持論があります。
心のコップ理論というと、幸福をコップにどんどん貯めていくという考え方をされる方もいますが、僕の実体験を踏まえると、完全にその逆の考え方です。
ストレスやハプニングなどで、心のコップに水が自分の意思とは関係なく、自然と溜まっていくイメージです。
そしてそのコップの大きさは人それぞれ違うんです。
大きい人も、小さい人もいます。
コップの大きさが人それぞれ違う。
だから僕は「なんでそんなことぐらいでめそめそしてんだい!」と、そんな言葉は落ち込んでいる人にはかけたくありません。
本来であればその水が溢れる前に「めんどくせぇなあ」とか思いながらも水を流すじゃないですか。
例えば、思い切って友だちと遠くへ旅行に行ってみたり、ちょっと奮発して美味しいご飯を食べに行ったりして。
ただ、ふとした瞬間に心の生命線が切れて、
「めんどくせぇ」って思うことすらも「めんどくせぇ」って感じてしまうんです。
何も手につかなくなってしまうことがあるんです。
そうなると水がコップから溢れ出して止まらなくなってしまうことになります。
そうなってしまったらもう自分ではどうすることもできません。
自らその人生に終止符を打つか、その環境から逃げ出すか、
何かしら「自分が自分でいられるように」自分自身を守らなければなりません。
あるいは、自分ではない「何か」を壊したくなる衝動に駆られることもあるでしょう。
心の防衛反応ってやつですね。
人間に本来備わっている機能だそうな。
神はいらん機能を人間に授け賜うたなぁとつくづく思います。
ここだけの話、僕の生命線は一度切れてしまいました。
心がボコボコに潰れて壊れてしまいました。
一度壊れたものは元には戻らない。
これは万物に当てはまる自然の摂理ってやつです。
至極当然のことですよね。
人間の心も同じこと。
案外弱っちい生き物なんですよ、人間って。
…前置きが長くなってしまいましたが、最後にもう一度問いかけます。
「あなたは僕の「闇」に触れる覚悟がおありですか?」
覚悟がおありであれば次のページをめくってください。