メンタルケア

もう一人の僕は「孤独」の中で生きている

【5,542文字】

ハロハロ!

midori* (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و

 

GW期間中に50記事書き上げるつもりでしたが、このままのペースだと確実に間に合いません!(笑)

こんな大口叩いていたクセに、今年も目標目前にして心が折れかかっています。(笑)

皆さま、温かい目で見守っていただき、心優しいエールをお願いいたします…

 

さて!先日、

『もう一人の僕は「幸せ」の中で生きている』という記事を書きました。

これは量子力学の「シュレディンガーの猫」という有名なお話と、文学界の礎を築いた劇作家ウィリアム・シェイクスピアの言葉に、僕の感性をブレンドすることで、

「生きにくさ」を感じにくくする

僕も実践している我流の思考術です!🌟

 

まだご覧になっていない方はこの記事の最後にリンクを貼り付けておくので、

「暇で暇で仕方がない!」

「何もしないよりはマシか!」

って思ったときにお読みください。

 

人って考える時間が長ければ長くなるほど、行動しなくなるんですよね。

目の前にチャンスとか良い物があっても、飛びつく人は飛びつきますし、飛びつかない人はずっと飛びつかない。

そして、飛びつかない人は後悔するんです。

 

「あの人は行動できてすごい」

「今から自分が始めてももう遅い」

「もう遅いからもう諦めよう」

 

これの繰り返しです。

これを繰り返すからずっと変われないんです。

結局変わるのが怖いんです。

 

「流れ星理論」というように呼ばれることもありますが、星が目の前で「キランッ」と光った一瞬で願いを叶えられるかどうかが決まるんです。

 

もちろん目の前にチャンスが転がっていたら、まずは慎重に見定めることは大切です。

灯火の輪の柱の一つとなる

【鳥の心得】は真実を見抜く目、先見の明のことで、

これは常々俯瞰的に自分や世界を見て、慎重にこの世の中の流れの動向を見定めなければならないとお話ししています。

 

ただ、ね。

「考えるな。感じるんだ」

これも大事なことなんです。

「思考」よりも「直感」の方がもちろん圧倒的に速いからです。

その直感で正しい方向へ走り出せるような人間に僕はなりたいなぁ。

 

さあさあ、そして!

今回はその我流の思考術第2弾です!

 

『もう一人の僕は「孤独」の中で生きている』

 

最近Twitter界隈では「孤独」というワードがよく目に入ってきます。(僕だけ…?)

僕のことをフォローしていただいている方々は、感受性が鋭敏すぎたり、心に深い傷を負ってしまっていたりする方が多いです。

そのため、他の感情よりも特に「孤独感」を強く抱いてしまい、さらに心苦しい想いをしている方も多いのではないでしょうか。

 

え、僕はどうなのかって…?

 

孤独感でいっぱいですよ。(笑)

一時期は本当に孤独が辛過ぎて、独り部屋で悶えていました。(笑)

 

でも、

僕は今、その「孤独」を受け入れることで

重く背中にのしかかっていた物をやっと下ろせたというか、

むしろとても「生きやすい」と感じています。

 

孤独を受け入れるなんて無理…!!!

 

僕がお話ししてきた中でもそう言う方がほとんどです。

僕も実際すぐに孤独を受け入れるのに時間がかかりましたし。

僕がこの世に生を受けて○年、ずっと孤独に苦しみ続けましたよ。

 

やっと解放された心地です。

そりゃあ、時には孤独感にまた襲われることもありますが、以前よりも気楽に迎え入れることができます。

 

「あぁ~、はいはい」

「また来たのね」

 

そんな風に受け入れることができます。

もちろん、しんどいですけど。(笑)

 

今回は僕のそのマインド思考術についてお話ししていきます。

 

●そもそも「孤独」って…?

 

あなたは「孤独」はお嫌いですか?

ここで「いいえ、大好きです」と答える方は変人ですので、通報しておきますね。

 

そもそもなぜ人は「孤独」を嫌うのでしょうか。

それは「寂しい」と感じるからですよね?

「ひとりぼっち」が嫌だからですよね?

 

わかりますよ、うんうん。

僕はずっとひとりぼっちです。

でも僕はひとりぼっちですが、

「寂しい」とは感じません。

 

しかし、

ここが孤独を恐れる人と僕との違いなのです。

 

孤独というのは、

「孤 (みなしご)」「独 (ひとり)」という漢字を組み合わせた言葉です。

 

「弧 (みなしご)」とは、社会との繋がりを断たれ、誰の援助も受けられない身寄りのない子どものことを指します。

「独 (ひとり)」とは、「独立」という言葉にも表れているように、この社会の中で誰とも繋がりのない、誰かと支え合うこともない状態のことです。

 

どちらも「社会」というコミュニティの中で使われる言葉だということを、まずはご理解ください。

社会は「2人以上の人」が繋がりを持った時点でそれは社会です。

 

家族、学校、部活動、会社、恋人、友だち

 

規模はどうにせよ、大きな社会の中に、また小さな社会が、さらにその小さな社会の中にもっと小さな社会が、というようにどんどん社会が組み込まれているんです。

 

そのため、住んでいる国や地域という大きな社会も大切ですが、

それよりも身近な社会の方がより「所属感」を抱きやすく、誰かと話をすることができている時点で自分はその社会の中に所属していることになります。

 

「孤独」というのは、社会とはある程度距離を保って独りで生きていくということです。

 

しかし、「孤立」というのは悲しいかな、

「社会の中にいるのに独りぼっち」

そんな状態のことなんです。

 

そんな悲しい、寂しい、切ない感情をあなたは感じたことありますか?

 

これまでの記事の中で僕は何度か、

「人は社会的な生き物」

そう繰り返し述べてきたと思います。

また、

人は社会的な生き物故に、どこかの社会に属していないと生きることができない

こんなことも綴ってきました。

 

そのため、人は無意識の内に「群れる」のです。

言い換えると、群れるからより大きな社会が形成されるんです。

これは群れるのが悪いということが言いたいわけではありません。

前にもお伝えしたように社会の中に所属していなければ人は生きていくことすら難しいのです。

 

そして、

おそらくどこの社会からも受け入れてもらえず、爪弾きばかり食らって生きてきた方々は、その無所属の期間が長すぎると心が完全に壊れてしまいます。

さらに、いずれ「究極の二択」を迫られることになると思います。

 

「自死」「破壊」です。

 

社会から受け入れてもらえない

「心優しい真面目な人」こそ、せめて誰にも迷惑をかけずにその社会から消えようとして自らの人生を閉ざします。

 

自分を認めてくれなかった

「社会への復讐心、怒りに燃える人」は、破壊衝動を爆発させ、周りを道連れにしようとする思考に流れます。

 

「孤独」を感じている人はいずれ社会のど真ん中で「孤立」してしまうことがあります。

「孤立」するということは社会との繋がりを断たれているわけなので、その社会がどうなろうと知ったことではないのです。

 

自ら命断つのはいいけどよ!

周りを巻き込むんじゃねえよ!

 

いや、どちらもよくありませんよね?

孤立した人間がどれだけ辛い想いを自分の心の奥底にしまい込んでいるのか。

怒りや悲しみも通り越して、「虚無」です。

心は傷つき過ぎると何も感じなくなるんです。

そんな悲しい社会なら、

 

「社会の方が壊れてしまえ」

 

僕はそう思います。

 

なぜ「孤独」を感じてしまうのか。

 

それは「人が群れるから」です。

単純に楽しそうにしている集団の中で自分だけポツンと取り残されたら「孤独」を感じますよね。

一時的ならまだしも、それが続けば「孤立」していることになります。

 

先ほどもお話ししたように、人は群れると、そこに今回の問題の核心となる「社会」ができます。

社会ができると、そこに適応できない、息苦しさを感じてしまう人が少なからず出てきてしまいます。

 

「群れるな」と言いたいわけではありませんよ?

 

問題なのは、「なぜ群れるのか」ということです。

 

群れるのは、「寂しいから」ではありませんか?

 

僕は、常々このように考えながら生きています。

人というのは皆、心の中に「孤独」を抱えているのだ。

その心の中にある黒く蠢くものと、上手く付き合いながら生きていくしかないのです。

その孤独と向き合うことから逃げてしまうと、人はその孤独感を埋めるために、さらに同じような想いを抱えた人を求めて群れるのです。

 

そしてその孤独からずっと目を背け続けていると、もう一人では生きることができなくなってしまいます。

そうなってしまった人は、自分のいるその社会を過剰に守ろうとします。

「排他的」な思考です。

その社会に入ってこようとする人や、その社会に害をもたらすかもしれない危険性のある人を攻撃するようになるんです。

 

攻撃されてしまった人はどうなるのです?

 

ここまでお話ししたように、社会に属せなくなった人は生きることができなくなってしまうのですよ?

 

同じように孤独を抱えている人を、なぜ攻撃する必要があるのですか?

 

だから、僕の言葉に少しでも共感していただける方にはご理解していただきたいのです。

 

己は孤独なのだ

 

それを認めていただきたいのです。

「繋がりを断つ勇気」でもお話ししましたが、人との繋がりを断つことによって、自分だけの人生を歩み始めることができます。

「他人主体の人生」から、「自分主体の人生」に切り替わるんです。

 

間違ってはほしくないのですが、

「孤独」を受け入れろとは言いますが、

「孤立」はしてはいけません。

 

人は何かしらの社会に属していなければ生きられない生き物なのですから、自分の居場所がなければ消えてしまいたい衝動に駆られます。

 

自分は存在していない方がいいんじゃないか…

生きてるだけで迷惑をかけてるんじゃないか…

これまでも幸せなんか感じられなかったし…

どうせこれから生きていても同じことだろう…

 

自分の孤独を埋めるため、自分が所属している社会を守ろうとするあまり、爪弾きにされた人はそんなことを毎日考えて生きているんですよ。

「生きながら死んでいる」のか、

「死にながら生きている」のか。

それすらもよくわからなくなってしまっているんですよ。

 

もう心無い言葉を誰かにぶつけるのは辞めませんか?

正論だろうが何だろうが、その人が傷ついてしまっては言葉のキャッチボールができていないのと同じことです。

 

心無い正論などをぶつけて、

「成長させるためだ」とか言っている

教師や上司、先輩、目上の人たち。

 

先ほど、自ら命を断つ際、

「周りを巻き込むな!」と言っていた人たち。

あなたたちの価値観がその人たちを社会から爪弾きにしてきたことに気が付いていないのですか?

 

働き口がない。

友だちがいない。

勉強ができない。

運動ができない。

身嗜みが悪い。

 

いつまで「自己責任」という心無い言葉をぶつけるんですか?

もちろんある程度の自己責任というものはあり、

その人自身変わろうとする必要はあります。

努力をしなければなりませんし、その努力すら放棄してしまっていてはこの社会に打ち勝つ権利さえ放棄してしまっているのと同じことです

自己責任論のすべてが悪いとは言いません。

「幸福の相対性理論」という記事で、今の日本は【弱肉強食型、利益追求的、相互監視社会】という言葉を取り上げました。

まさに、弱き者は強いものに従うしかない、利益を生まない人間は切り捨てる、規範や利益を守っているかお互いに監視し合い、傷つけあう社会です。

 

ただ、

あなたたちが心優しい人たちを

この社会から爪弾きにしていることに気が付いてください。

孤立した人を生んでいるのはあなたたちです。

孤立した人は社会のどこにも自分の居場所はありません。

その人の心を壊しているのはあなたたちです。

心優しい人ほど、傷つく社会を作って満足ですか?

行き場のない崖っぷちまで追い込んでおいて、

最後の最後になってやっと、

「生きろ」「自ら命を絶つことは悪行」と引き止め、

挙句の果てには無責任にも何の手助けもしない。

ただただ生かされただけ人の想いがあなたたちにわかりますか?

 

人は「孤立」すると生きられない。

だからこそ、一人で生き抜く力がこの現代にはさらに必要なんです。

「孤立」しないため、一人でも生きていけるだけの力を付けるため、孤立しそうな人に手を差し伸べていくために、まずは自らちゃんと「孤独」と向き合ってください。

「孤独」を受け入れてください。

 

●孤独と共に生きる

 

ここまでお話ししたように、僕は孤独を受け入れることで、

「生きやすさ」を感じることができました。

「自分はぼっちだ」と認めることで、僕は肩の荷がスッと下ろせたんです。

 

その孤独を撥ねつけて、逃げるように生きるのではなく、ちゃんと向き合ってあげてください。

その孤独も、あなたの心の一部です。

「孤独ちゃん」とでも名付けてあげてください。

孤独ちゃんがあなたの心の中で、

ずっとあなたと一緒にいてくれます。

 

最初は怖いかもしれません。

なかなか上手く付き合えないかもしれません。

 

友だちや恋人

職場の人たちや家族

そして、大切な人

 

決して上手く繋がりを持てる、保てると思ってはいけません。

悲しい、寂しい、そんなの辛い…

わかっていますとも。

僕が一番こんな生き方なんか寂しすぎるとわかっています。

 

でも、きっと大丈夫です。

孤独ちゃんがいつも一緒にいてくれますから。

 


【今回のmidori*オススメ記事3選!٩( ᐛ )و】

「繋がりを断つ勇気: 自分の人生の歩み方」

→ 人との繋がりを断つことで、人の幸福度は相対的に上がります。そして「自分主体」の人生を歩むことができるようになります。

「俯察仰観: 鳥の心得」

→ 自分や世界の動向を俯瞰的に見て、真実や未来を見抜く力のことです。灯火の輪の柱の一つ。

「もう一人の僕は「幸せ」の中で生きている」

→ 「シュレディンガーの猫」と「シェイクスピアの言葉」に僕の感性をブレンドし、オリジナルの思考術に仕上げ、文章にまとめました。選択肢に迷ったとき、より良い選択ができるように祈ります。

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