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ども!
midori* (@tm_midori) です! ٩( ᐛ )و
今回は前回の記事の続きです!
まだご覧になっていない方はまずこちらからご覧ください!
前回は「人との繋がり」についてお話ししました。
●復習!٩( ᐛ )و
- 真に信じられるものは、「自分自身」と「信頼できる人との繋がり」
- 信じられるもの、真実を見極める「眼」を養う
- 僕は「繋がり」を尊重し、お互い手を差し伸べ合える「場」を創りたい
- 「信頼できる繋がり」を築くためには、「承認」「共感」「肯定」
- 必ず一定数、価値観の合わない人もいる
- 自分の価値観を磨くためにも、「肯定」と「否定」を使い分ける
以前の記事の要点はこのようなものです。
人との繋がりが誰かの救いとなり、そして自分自身の救いともなるのです。
だから、人との出会いを無下にするような人間性は、僕は好きではありません。
ましてや「否定」から会話が始まるような人とは…
前回あれだけ「人との繋がり」をテーマに長々と
「大事だぞぉ!」と書いてきましたが、
今回のテーマは「繋がりを断つ」です。(笑)
人は人との繋がりが増えれば増えるほど、しがらみも増え、悩みもそれと同時に増えることになります。
『アドラー心理学』では、
「すべての悩みの根源は人間関係に起因する」と言われています。
確かに言われてみると、外見にコンプレックスのある人は、周りの人と比べて「劣っている」と感じ、収入が少ない人は同じく周りの人と比べて「少ない」と感じることで劣等感に苛まれます。
アドラー心理学の考えでは、極端な話、
「世界に自分一人しかいなければ幸せになれる」と言ってしまうほど、
人との繋がりについては人生を大きく左右する重要な要素の一つなのです。
ただ、僕は人との繋がりが増えれば悩みも増えることについては納得していますが、その信頼関係の中で生まれる「絆」に「幸福感」を感じることもできると考えています
しかし、どうしてもその繋がりの中では悩みというものはついて回る。
友との繋がり、同僚との繋がり、
上司との繋がり、男女との繋がり…
そうした繋がりの中で、
ある程度「自分の心の領域」を決め、
その自分の意識でコントロールできる領域を守っていくことによって、人はより幸福感を感じられるのではないでしょうか。
アドラー心理学での「課題の分離」というものは、目の前のタスクがいったい誰のものであるのかを明確化させ、その領域を意識づける意味合いがあります。
自分の課題には出来る限りの精一杯の努力をし、相手の課題には踏み込まない。
このアドラー心理学については、この記事の最後にリンクを貼り付けておきます。
今回お話ししたいのは、
「相手の価値観と合わない場合どうすれば良いのか」ということです。
●繋がりは価値観の共有
人は社会的な生き物です。
山奥でひっそりと自給自足、学校にも職場にも、買い物にさえ行かなければ「社会的」とは言わないのかもしれませんが、この日本という国で生きている以上、それはほぼ不可能だと言えます。
ともなると、必然的にどうしても人との交流が生まれます。
約1億人の日本人の中から、たった数人とも言える貴重な、あなたと価値観の合う人と巡り会う奇跡が日常の中に実はあるんです。
しかし、もちろんその1億人すべての人と価値観が合うわけがありません。
生まれ育った環境
受けてきた教育
交友関係や巡り会う出来事
それらが人の価値観を形成していきます。
それが大きくなっていくと、社会に共通して持たれる価値観が生まれ、国家を形成します。
日本は民主主義であり、資本主義の国家でもあります。
それは戦前にはなかった「自由」を国民一人一人が手に入れたということでもあります。
しかし、自由であるが故に、人それぞれの価値観も様々な形となります。
どうしても分かり合えない人だっている。
同じ価値観を共有したくともそれができない人だっている。
この社会に属している以上、そのような人とも上手く付き合いながら生きていくしかないと僕は思うのです。
これはとてもとても悲しい現実ですが、
尊敬する人、好意を寄せている人、
共に同じ道を歩いていきたいと心の底から願っていても、それが叶うとは限らないのが人生というものです。
そして、価値観が人それぞれ多種多様な形がある以上、
「争い」も避けることはできません。
人はなぜ争うのでしょうか。
なぜ人類は同じ人間同士で争いが絶えないのでしょうか。
それは、お互いに自分の価値観が正義だと信じているからです。
自分たちの価値観が正しいと信じ込み、
他の価値観を認めようとしない、
受け入れようとしない、
そのためお互いに反発し合うんです。
少しぐらい認め合おうよぉ~…
そう思いますよね?
でも、それをしてしまえば、これまでの価値観では生きていけなくなってしまう人たちがいるんです。
例えば、海外の考え方、価値観を少し取り上げます。
中国は「中国式社会主義」という考えの元、多くの企業を民営化させる中で、その企業の一部の権利を国が所有するという、「社会主義」と「資本主義」を組み合わせたような政治体制をとっています。
そのため現在では、表面上は日本とほぼ変わらないような自由な市場経済というように目に映ります。
日本のように貧富の差もあるという意味では「社会主義」の考え方に反するようにも思えます。
しかし、実際は民間企業であっても裏では政府の介入があり、国がいつでも経済をコントロールできる体制を作っているんです。
「○○主義」と聞くと、「???」な方も多いと思いますので、簡単にご説明します!٩( ᐛ )و
- 民主主義=国の方針や在り方は国民自身で決めようよ!
- 資本主義=お金大事、お金最強、お金あれば何でもできるよ!
- 社会主義=みんな平等、お金も土地もみんなで同じだけ分けるよ!
- 共産主義=社会主義の強化版、みんなの生活もすべて管理するよ!
…こうやって書くと資本主義が意地汚いようなイメージになってしまうかもしれませんね。(笑)
でも、
資本主義は「お金を国民が自由に使っていい」という自由を認めているということでもあります。
一方で、社会主義、共産主義は、「平等」と言うと聞こえは良いですが、国が徹底的に国民のお金も土地も自由も管理をした上での平等ということでもあるんです。
中国の場合、資本主義と社会主義を組み合わせたような方針なので、基本的にはお金を国民が自由に使う権利を認めてはいますが、有事には政府がそれを制限することができる体制を整えているということになります。
日本人の場合、
この「自由」という言葉にとても敏感ではありませんか?
少しでも個人の自由が奪われたと感じると、過剰に反応する人っていますよね。
僕の勝手な独断と偏見だと、
それも特に年齢的にジ○バ○に多いような気が、、、(ゴホンゴホン)
…失礼しました。
喉の調子が急に悪くなってしまいました。
結局の所ここで何が言いたいのかというと、
人との繋がりとは、その人の感性や思想などの「価値観」に「共感する」ことで生まれるものだということです。
そして同じ方向性を持った生き方に共感することで「繋がり」を感じるんです。
人との繋がりが生まれることで「集団」が生まれます。
その集団のことを「社会」といいます。
人が集まれば社会ができるわけですから、たった2人の間で繋がりが生まれてもそれは社会です。
色んな社会がこの世界には無数にあります。
「学校」「部活動」「会社」「家族」
おそらくこうしたものが最も身近で社会的な人との繋がりなのではないでしょうか。
この社会に属している以上、人との繋がりは必然的に生じます。
異なる価値観を持った人であれ、繋がりを持たなければならない世の中です。
僕みたいなひきこもり気質にはとてもとても生きにくい世の中です。(笑)
ちなみに、
ひきこもり気質のある方には本質的には
「心優しい」人が多いように僕は感じています。
「部屋にとじこもる」というのは、「心を閉ざす」ということの暗喩 (メタファー) です。
比喩表現には様々な形があるのですが、学生時代の国語の授業で習ったのを覚えていませんか?
「直喩法」は「見ろ、人がゴミのようだ」です。
「隠喩法」は「お前んち、おっ化けやーしきーっ!」です。
違いは「まるで~ようだ」という表現が入るかどうかです。
「暗喩法」というのはあまりご存じない方も多いと思いますが、まったく異なる「A」というものを語る中で、実は読み手に伝えたい「B」というものを感じさせる表現技法のことです。
直接的には「ひきこもり気質」について僕はこれまで語ることも多かったと思いますが、
「部屋にひきこもる」(A)というのは、
「心を閉ざし、外界と繋がりを一切遮断する」(B)
ということでもあります。
これは社会との繋がり、人との繋がりに苦しむ人の防衛反応なのだと僕は思っています。
異なる価値観の者同士が共存しているからこそ、争いは生まれ、人は心のエネルギーを消費してしまうのです。
しかし、人との繋がりは確かに窮屈に感じてしまうこともありますが、必ずしもそれだけではないと思います。
同じ価値観の人との繋がりが増えれば増えるほど、その人の幸福感は増すんです。
人との繋がりに苦しむ方は少なくないと思いますが、
人との繋がりがなければ、決して幸せにはなれません。
はぁ…!?
あんたバカぁ!?
ゲームもアニメもネットもあるし、
一人でも十分幸せ感じてるんですけどぉ!
別に否定をすることはありません。
僕もそうしたものが好きですし!(笑)
でも、ですよ。
しかし、ですよ。
それは「一瞬の快楽」にしか過ぎないんですよ。
「人生は一瞬の快楽の繰り返し」だろ?
確かにそれも一つの考え方です。
しかし、そのような人とは僕は価値観を共有し、
心から繋がりを持つことは決してないでしょう。
●繋がりを断つと幸福度は増す
先ほど、
「人との繋がりが増えれば幸福度も増す」とお話ししました。
しかし、価値観の合わない人との繋がりは、その幸福感を阻害してしまいます。
ならば、その繋がりを断ってしまえば、相対的に自分の幸福度は上昇することになります。
「人との繋がりを断つ」ということはとても勇気が必要です。
人は「社会」の中に属していないと恐怖心を抱きます。
人は社会的な生き物なのだから、その社会に属すことができなければ生きることが難しくなるからです。
そのため、誰かを「社会からはじき出す行為」というのは、その人の人生や命を脅かす行為だということです。
嫌われたらどうしよう…
この人とはほんとは気が合わないけど、
一緒にいないと他の人とも仲良くしてもらえないかもしれない…
この集団の中から一度でもはみ出したら、もう戻れないかもしれない…
こうした意識が働くため、苦しくとも、我慢してでも、
異なる価値観の人とも繋がりを保ち続けなければならないと「思い込んでしまう」んです。
こんなに苦しんでいるのに…!!!
思い込みとか言うな…!!!
お前に何がわかるんだよ…!!!
お前にこの苦しみがわかるのかよ…!!!
いいえ、まったくわかりません。(ドンッ)
では、お聞きしますが、
あなたに僕の何がわかるというのですか?
「お前に何がわかる!」という言葉は、救いの手を差し伸べようとしている目の前の心優しい方々を払いのける言葉です。
目の前の人のこともわかろうとしない、理解しようとする姿勢すら整っていないんです。
他人はどこまでいっても他人。
家族だろうが、親友だろうが、100%相手を理解することなんて不可能です。
それなのに「理解してもらえる」と考えるその姿勢が誤っていると僕は言いたいのです。
それでも目の前にはあなたのことを理解しようしてくれている人はいるんです。
助け出そうとしている人がすぐそばにいるんです。
それをあなたが撥ねつけるのであれば、
あなたはその現状に心のどこかで満足しているんです。
●人との繋がりに苦しむあなたへ
ここまで「分かり合えぬ人もいる」ということをお話ししました。
その事実をまずは真摯に受け入れていただきたいのです。
では、
人との繋がりに苦しむあなたはどうすればいいのでしょうか。
人との繋がり、社会の中で辛い想いを抱えている方々にも様々な在り方があります。
はち切れそうなぐらいの誰かへの想いが実を結ばない
価値観の合わない人にずっと苛まれている
分かり合えていたと信じていた人の裏切り
これは共感していただける方はいるのかどうかはわかりませんが、
人を信じやすい心優しい人ほど、
どんどん人のことを信じられなくなってしまう社会が少なからずあるんです。
恋心であれば、その想いが強ければ強いほど報われない現実に苦しむ人がいます。
仲間であれば、どうしても分かり合えない価値観に憤りを感じる人がいます。
友情であれば、綱渡りのようにアンバランスな関係の上で震える人がいます。
そうやってどんどん募る想いを心の中に閉じ込めて、やり場のない感情の闇に呑み込まれてしまいそうになるんです。
それを放っておけば、いつかどこかで「限界」が来ます。
その時が来るまでにあなたはなんとかしなければいけません。
だから、その「繋がりを断つ勇気」を持ってください。
アドラー心理学の「課題の分離化」という考え方のように、
他者との関わりの中で「自分の領域」を明確に持つのです。
その領域の範囲内で、あなたはあなた自身ができることに取り組み、
全力で目の前の人に尽くすべきです。
恋愛は必ず成就するとは限りませんが、あなたは全力で「好きだ!」という言葉を相手にぶつけるべきです。
仕事であれば、自分の考えは出し惜しみせず、すべて相手に伝えるべきです。
友人関係の中で窮屈さを感じているのであれば、何が窮屈なのかを伝えるべきです。
それで相手から反感をくらう結果になったとしたら、
「それまでの関係だった」ということです。
相手があなたの言葉にどう感じるのかは、相手が決めることです。
それをあなたはどうやってもコントロールすることはできません。
それをコントロールしようとするから辛いんです。
それならば、あなたが自分の領域の中で精一杯のことをして、
それでダメなら繋がりを断ってしまった方が楽になれます。
実は、僕は人との繋がりは多い方だと思っています。
ですが自分でも案外アッサリした性格だなと感じます。
僕は僕ができることは精一杯、全力で取り組みますが、
無理だと思ったら「プツン」と繋がりを断ってしまうのですから。
恋愛に関しては、フラれてしまったとしたら、
「一切の関わり」を断ちます。
事務的な話以外はしませんし、目も合わせません。
一度でも本気で好意を寄せた人との「友情」なんてありえないと思うからです。
だから、本気の想いを抱えているのであれば、
その想いを墓場まで持っていく覚悟も同時に持つべきだと思うんです。
その覚悟がないのであれば、まだ本気ではないのではないかと僕は思います。
僕はこの【灯火の輪】に僕の人生を捧げる覚悟だということは、
「起承転結ストーリー」の中でお話ししました。
だからもちろん僕が「救いたい!」と想った人生は僕の命尽きるまで、僕の全力を以って救い出します。
そのため、僕はどうしても分かり合えない価値観を持った人に、僕のその人生の時間を割いている暇はないのです。
だから、繋がりを断つことで、僕は僕の人生を守るんです。
そうして僕の生き方を守るんです。
●結局…?
人はそれぞれ自分の人生の道を歩んでいます。
その人生の数だけ「ストーリー」があります。
僕は僕だけの道を歩き、誰かの道に合わせるように、僕の人生を捻じ曲げることはあってはなりません。
もしその道から外れてしまったら、気が付いた頃には「迷子」になっているでしょう。
誰かを求めるあまり、孤独になっていく人生ほど切ない人生はありません。
だから僕は僕だけの道をこれからも一生懸命歩いていきます。
そしてもし、「運が良く」、
僕の道を一緒に歩いてくれる人と出会えることがあれば、
それはとてもとても幸せな人生になると僕は思うのです。
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